16.黄魂彦神社 凱旋碑、戦死者「記念碑」と「入営記念樹」碑    (西区観音新町一丁目17−39・黄魂彦神社内)

凱旋碑   
 

黄魂彦神社は広い空港通りに面して、道路を背にして「凱旋碑」や戦死者「記念碑」等が並んでいる。道路方面を前にしていたらこのきれいに磨かれている「凱旋碑」など、目立って、「おや?」と思う人が多いことだろう。

 門から入ると、「遷座記念碑」「鎮霊百五十年記念碑」「當社勧請百年祭記念」「尾形翁頌徳碑」「道路改修紀念碑」と続いてある。  この神社は1818年この地に勧謂せられたと伝えられるが、爆心から3200メートルで全焼地域ではないので、被爆遺跡とはいえない。ただし本殿(木造)は戦前からのものというから、被爆建物の範疇に入るだろう。 また「尾形翁頌徳碑」と「道路改修紀念碑」とは、爆心から、約2000メートルの全焼地域にあったもので、被爆遺跡の範疇に入る。

 (表) 凱旋碑 (左) 大正三年9月建之

 (裏) 顴音村沖組出征兵士人名   明治二十七八年事件 明治三十三年事件 明治三十七八年事件 出征  勲七等 住村米藏   明治二十七八年事件 明治三十七八年事件 出征  勲八等 磯井増次郎 外3名  明治三十三年事件 明治三十七八年事件 出征  勲七等 今村好太郎 外5名  明治三十三年事件 出征  勲七等 尾形兵次郎 外1名  明治三十七八年事件 出征  從六位 勲四等 尾形十太郎 外14名

 
 
戦死者「記念碑」と「入営記念樹」碑    
 

(表) 記念碑

(裏) 日露戦役戦死 明治三十八年三月五日 故勲七等 陸軍上等兵 橋芳太郎

 そばに「入営記念樹」碑 坂本清秋 島秀夫 本榮一の名前 裏は昭和十三年十月

 黄魂彦神社の由来について三つの碑があるので、あげておく。

 「遷座記念碑」「黄魂彦神社は、文政元年(1818)この地に勧請せられたと伝えられ、爾来百七十年に亘り氏子の篤き崇敬を受く。この度広島市都市計画道路事業の為境内の一部を買収されしを機に本殿移転移築弊殿拝殿の新築等全面的に配置を改め更に玉垣の寄進を受け、境内の整備を行う 十月吉日遷座祭を奉修し神徳の無窮を讃し碑を建てこれを記念す 昭和六十二年十月建之」

 「鎮霊百五十年記念碑」「黄魂彦神社は、文政元年この地に勧請せられ星霜百五十年を閲す。依って茲に有志相謀奉賛会を結成して三菱重工株式会社広島造船所並びに菱重興産株式会社より敷地の一部提供を受け又広く篤志家の寄付を懇請して社殿並びに境内の整備を行い十月十四日十五日をトして祝典を奉修し神徳の無窮を頌しここに碑をたてこれを記念す。昭和四十二年十月建之 百五十年霊威護此郷 居民蒙佑助 神徳永宣揚」

「當社勧請百年祭記念」碑 (左) 大正六年九月吉日建之 (右) 世話係 青年團員