19−3.原忠魂碑 (安佐南区西原六丁目13・冬木神社内)
冬木神社の中、左に立っています。
表には忠魂碑、下に説明板があります。 写真は2013年10月10日撮影 |
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建立の経緯等=西尾隆著「広島のいしぶみはみつめる」第2集 2000年より
旧安佐布原村の戦没者日中戦争・太平洋戦争戦没者は131名、このうち原爆犠牲者は62名。 (建之経緯) 日清、北清、日露、シベリアの戦役の戦没者の忠魂碑として、1932年(昭和7年)11月に建てられたものである。太平洋戦争終結後、「忠魂碑」の文字はセメントで塗りつぶされ碑は荒廃するまま放置されていた・。その後日本の独立とともに文字は掘り出され1967年(昭和42年)8月に地元有志による改修工事が完了し、その際、日支事変と太平洋戦争の戦死者を合祀して慰霊行事が営まれた[1] 台座正面に「英霊 日清戦役 日露戦役 北清事変 西比利亜事変 大東亜戦争」と刻まれているが、祇園町誌の原地区の戦没者名簿[2]には、日清戦争と北清事変には該当者はなく、日露戦争(1名)、シベリア事変(1名)、日中戦争・太平洋戦争(131名)の各戦死者の氏名が記載されている。日中・太平洋戦争戦死者は「軍人」67名,「軍属」12名、「満蒙義勇隊」1名、「動員学徒」37名、「挺身隊」7名、「国民義勇隊」6名、「徴用工」1名となっており、このうち原爆犠牲者と判明しているのは、動員学徒、挺身隊、国民義勇隊、徴用工の全員、これに軍人6名、軍属5名を加えた62名である[2]. 定期的な慰霊行事は行なわれていないが、遺族は随時碑に献花し、合掌している。 |
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写真は2013年10月10日撮影 | |
写真は2013年10月10日撮影 |