善教寺の外、左の墓地前に立っています。
表には昭和三十五年九月 戦歿者慰霊之碑 広島県知事 大原博夫敬書
建立の経緯等=西尾隆著「広島のいしぶみはみつめる」第2集 2000年より
旧安佐郡古市呵東野地区の戦没者ならびに原爆犠牲者.日中戦争・太平洋戦争の戦没者は51名,このうちの17名は原爆死 原爆犠牲一般町民は24名。
東野地区戦死者慰霊碑建設委員会、1960年(昭和35年)10月2日建立
(経緯)
台座正面に「戦死者名」の標記があり,「軍人軍属」の項には「西南戦争」1名、「日露戦争」1名、「支那事変」4名、「大東亜戦争」31名の戦死者氏名が、「動員学徒」の項には9名の氏名が、「動員学徒・女子挺身隊」の項には7名の氏名が,そして「一般原爆死」の項には24名の氏名がそれぞれ刻まれている。 動員学徒と女子挺身隊の計16名は全員が原爆死であり、これに軍人1名を加えた17名が原爆による戦死者である.これにさらに一般町民の原爆死没者24名を合わせた41名が原爆の犠牲者である。慰霊碑の台座には、上記のように「動員学徒」、「動員学徒・女子挺身隊」と区分されているが,戦死者名簿によれば、前者は男子の動員学徒(9名)であり,後者は女子の動員学徒(5名)と女子挺身隊(2名)という内訳になっている。
この碑は、碑銘は「戦死者慰霊之碑」となっているが,、慰霊対象に非戦闘員である一般町民の原爆死没者を含む特異な慰霊碑である。この点について、碑の建立時の建設委員会代表であり,その後も慰霊碑保存会代表をつとめている河野洋曹氏(90歳)は、「いろいろと論議をしたが、『原爆』は,戦闘員のみならずびただしい数の非戦闘員をも死に追いやった無差別爆撃であった。この碑はこれらの戦争犠牲者の慰霊碑であって、軍人と一般人を区別しないという結論のもとに建立した」と、碑建立の経緯を語った。
毎年秋季に、東野地区戦死者慰霊碑保存会の主催による慰霊行事が営まれている。碑前での読経・焼香のあと,善教寺本堂で追弔法要が行なわれる。
東野地区戦殆者慰霊碑保存会代表・河野洋曹氏(広島市安佐南区東野1丁目)‥1967年7月26日
1]東野地区戦死者慰霊碑建設委員会・東野地区戦発着慰霊碑保存会:御霊録、p。1−21、東野地区戦死者慰霊碑保存会(広島市安佐南区東野一丁目18−42、1986年
写真は2013年10月10日撮影 |