31.戰役紀念碑と慰霊碑  (安佐北区安佐町後山1505−1)

 南から安佐動物公園への道を、安佐動物公園よりさらに北へ行くと右手にまず道路改修碑(大正五年建之)があり、さらに進むと、後山農協をさらに過ぎたら、道路の反対側、右手にみえる。


写真は2013年10月10日撮影。
 
 戰役紀念碑  
  写真は2013年10月10日撮影。

 表 戰役紀念碑

 裏 明治二十七八年日清戰役從軍者5名(良く読めない)

 明治三十三年北清事変從軍者 陸軍輜重輸卒勲二 森本熊市等13名

 明治三十七八年日露戰役從軍者92名

 大正自三年至八年日獨戰役從軍者 陸軍砲兵軍曹 小田敏樹等14名

  ※建立年月日 大正8年7月吉日

  ※建立の由来

 明治、大正にわたる事変戦役出征者の勲功を偲ぶため、大正8年戦役記念碑が建之せられた。この意義深い碑も昭和20年に敗戦と共に横倒され放置されたままだった。その後、昭和26年に記念碑の建立が許されたため、同所に再建されたものである。

左手に石碑 昭和四十六年建之 「大正三年以降戦役事従軍者」

 軍人の部 岩田春実等173名 軍属・動員学徒の部 山本春三等15名

  慰霊碑              (戰役紀念碑の右) 
 表  慰霊碑  広島市長山田節男

裏  支那事変 大東亜戦争軍人軍属死没者並動員原爆犠牲者とあり

   軍人の部 岩田岬等72名 軍属の部 山本三四二等17名

   学徒の部 船川八重子等17名 の名 昭和四十七年十二月 日浦地区民建之

 ○「原爆慰霊碑」の要素が大きいので第9編市内北部・東部の中でも紹介する。

建立の経緯等=西尾隆著「広島のいしぶみはみつめる」第2集 2000年より
慰霊対象:旧安佐郡日浦村の日中戦争・太平洋戦争戦没者104名。このうち少なくとも15名は原爆犠牲者、日浦慰霊碑建設委員会、1971年(昭和46年)12

 石碑後面に「日浦地区民建之」とあり、「支那事変大東亜戦争軍人軍属死没者並動員学徒原爆犠牲者」と題して、「軍人の部」に72名、軍属の部に17名、学徒の部に15名,合計104名の氏名が刻まれている。このうち動員学徒15名は全員が原爆死であることが確認されているが,軍人・軍属については明らかにされていない。
 この慰霊碑の左隣りに,「戦役紀念碑 元帥陸軍大将伯爵寺内正毅書」と彫りこまれた記念碑があり,「大正87月建之日浦村」と記されている。石碑後面には「日清戦役」、「北清事変」、「日露戦役」、「日独戦役」の各従軍者氏名が刻まれている.また記念碑左方には、1971年(昭和46年)12月に慰霊碑と同時に建立された「大正年以降戦役従軍者」の名録碑がある。
 日浦遺族会会長・川本正之氏(広島市安佐北区安佐町宮野):1987

写真は2013年10月10日撮影。

 
   
 写真は2013年10月10日撮影。
   
 右の写真は1994年9月24日撮影。