35.戰役紀年碑と征清紀念碑(東区馬木五丁目、馬木八幡神社北)  

戰役紀念碑

 

かって(1994年)は、東区馬木四丁目の温品通り東側に面して立っていたがの、2004年行ってみたら、スーパー、ノムラから北へ登る、馬木八幡神社北の空地に立っている。下の「征清紀念碑」の左。四角の塔を持つ。

  表  戰役記念  安正書

  左  明治三十七八年日露戰役出征者 陸軍歩兵長  民本卯之吉等12名 陸軍輜重輸卒 金井新三郎等7名

     大正三年日獨戰出征者  陸軍砲兵上等兵 土井田信太郎等5名

  右  明治三十八年奉天於戰死 勲八等功七級 故陸軍歩兵上等兵 岡本榮次郎君の名

 その下の台石 大正六年十月建之 馬木中

写真は2007年6月11日撮影

 

 

※建立の由来

大正3年9月1日より大正8年8月31日まで、馬木地区協議会会長として活躍された、河原徳造氏が主体となられて、馬木地区戸数約200戸の全戸から1名宛参加し、紀念碑の石を「末広義雄氏(馬木一丁目)」宅前の温品川から取りよせて運んだ。その時の石工は、吉田高一氏で紀念碑の建立は馬木地区協議会が施工した。

※  その他、特記事項

  ・碑文は第三十四代、長野県出身陸軍大将 福島安正の揮毫によるものである。

  ・当時の建立費用は馬木協議会が支出した。

  ・建立期間は約十ケ月を費やしたと思われる。

    ・紀念碑の全高は5m35Cmである。

写真はある新聞社の日露戦争についての取材を受け2007年6月11日撮影
 
 征清紀念碑  (東区馬木五丁目、馬木八幡神社北)   
   

 以前は、前の(日露・日獨)戰役記念碑のすぐ東の川沿い、一軒の家の裏にあったが、2004年確認に行ってみたら、(日露・日獨)戰役記念碑の右手に並んで移設されていた。

 碑は痛みがはげしくかろうじて表の上部に「征清紀念碑」の文字が読み取れる

 裏は殆ど読めない 。

 

写真は2007年6月11日撮影
 

※建立の由来

   明治27・8年の日清戦役に於いて馬木地区より出征した4名の功績を讃え、その戦捷として馬木村が建立した。

 ※その他、特記事項

 ・碑は自然石をそのまま使用している。

 ・長年月の碑文も朽ち落ちて、殆ど読みとる事が出来ない。

 ・裏面は建立後拓本を取る人が多く、現在は真黒にぬりつぶされて、かろうじて、明治30年9月馬木村共立の碑文のみ読みとれる。

・紀念碑の全高は2m80Cmである。 

写真は2007年6月11日撮影