37.五日市護国神社(貴船神社) (佐伯区海老山町・海老山公園内北) 

1995年に訪れた時には門柱、狛犬等石造りのものあったが、本殿の建物は無く、階段の上に立て札が立っていたが、2012年10月に再訪したところ、立て札が立っていたところに、左のように小さな祠が建っており、入り口の門柱のそばには「五日市まちめぐり散策路」という説明板が立てられている。

説明は「五日市町誌」からの引用で、多くの靖国神社・護国神社系列の神社に見られる「英霊を祀る」という表現を避けている。また原爆犠牲者を合祀するのに、靖国神社や多くの護国神社は戦没将兵の中に組み入れて祀っているが、ここでは別立てにして祀っている。靖国神社・護国神社での合祀のあり方に批判的な意見に考慮して、このような説明碑文になったものと推測される。合併前の旧五日市町は、森滝一郎さんら広島の平和運動を担っておられた方が多く住んでおられ、平和運動の強いところだった。そういう歴史が垣間見える。

 

「五日市まちめぐり散策路 あまんじゃくと歩く通りみち

五日市護国神社 貴船神社

祭神は市杵比買命(いちきしまひめのみこと)で、明治以降の戦没将兵と原爆犠牲学徒犠牲者も合祀されました。五日市護国神社は広島市の招魂者の本殿であったものを、昭和12年(1937)の日華事変(盧溝橋事件)の後に譲り受け、明治以後の戦没将兵を祀る五日市招魂社として建立されました。かって五日市中央通り揚上地区に鎮座していた八幡川の守護神の「貴船神社」の祭神は市杵比買命で、海老山山上に遷座し五日市招魂社と合祀されました。かって八幡川流域の舟運を支えたのは、安芸国一宮の厳島神社への信仰でした。昭和28年(1953)に原爆学徒の犠牲者を合祀し、五日市護国神社として現在に至っています。

『五日市町誌』より引用

文責 五日市西国街道散策倶楽部

広島五日市ライオンズクラブ」

左の写真は2012年10月29日撮影
   
もう一つの看板には

「護国神社(貴船神社)

御祭神 明治以降の地域出身護国の神霊(三百二十五柱)

     原爆による犠牲者の神霊(百四十五柱)

例祭日 四月 慰霊大祭ほか

鎮座地 広島市佐伯区海老山町

社務所 広島市佐伯区五日市六丁目 五日市八幡神社 921−3238(代)」とある。

  鳥居 表は文字無し 昭和十一年十二月建之  寄付者 呉市 加藤秀雄 金谷俊次  門柱右 表 忠勇報國  寄付者 小泉三吾 陸軍中将從四位勲二等田部西壯撰書    左   遂照糺神 昭和十一年十二月建之

  狛犬 二つとも 奉獻 紀元二千六百年  世話人 寺西徳一 寄付者 濱田勘吾

右の写真は2012年10月29日撮影
   
 

1995年に訪れた時には、祠のあるところに立ててあった「木の 立て札」には以下のように記されていた。(左の写真は1995年2月11日撮影。)

「招魂社跡

 戦後既に四十六年 今や我が国は経済的には未曾有の発展を遂げて平和な日々でありますが、これも若き青春の血と汗と心のすべてを捧げてひたむきに戦勝を信じ、東亜共栄の理想に邁進した悪夢を想うとき不幸にも、陣中に逝れた戦友軍馬のことを忘れることはできません。国家の愈々隆盛を信じて散華せられました英霊各位に報いるに一日も早く招魂護持の法の定まりますよう念願するものであります。

 謹んで哀悼の誠を捧げ安らかに眠り賜らんことを祈ります。  太一建設 山本正幸

 五百柱の御魂は塩屋神社にお祭りしております。     宮司 河野 巧

                       平成四年十一月十日 総代 川嵜保」