52.戰捷紀念碑と慰霊碑 (安芸郡坂町丸林・坂八幡宮)
戰捷紀念碑
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次の慰霊碑に「坂町」が公金を支出しているし、碑文に問題があると思われるので特に取り上げる。 表 戰捷紀念碑 第五師団陸軍中將 正四位勲一等山田陸追書 大正十二年三月建之 右 明治廿七八年日清戰役 從軍者 61名(内戦死1名 土田一) 明治丗三年北清事変 從軍者 36名(内戦死1名 右田賀一) 明治丗七八年日露戰役 從軍者 43名(内戦死5名 西谷國太郎等) 左 明治丗七八年日露戰役 從軍者121名(土田善吉等) 大正三年日獨戰役 從軍者125名 (河中 繁等) 〇名前だけで階級名が無い。 台座 寄付者氏名 表40名 左40名 裏40名 右25名 そばに銘板(石碑) 「明治四十三年建之」とあり 46名の死者氏名が刻まれている(その下、判読困難) (写真は2012年5月8日撮影) |
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| 慰霊碑 (戦捷紀念碑より奥) | |
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表 慰霊碑 内閣総理大臣 佐藤栄作書 裏 趣意書 (全文を記す) 国民に愛国心のない国は亡びる、住民に郷土愛がない町は栄えない。 祖国を愛し郷土を思うには民族独立の精神に通う。日本は第二次世界対戦に於いて、大東亜共栄圏確立という理想のもとに戦端をひらいた。 出征したわが町の青年壮年諸氏は、酷寒の北・炎暑の南の戦場で飢餓を忍び、兵器弾薬の欠乏に耐えつつ、勇戦奮闘し幾多有為の士が祖国の繁栄を祈念しながら散華せられた。真に殉国の神と言うべく、勝敗を越えて尊い。終戦後、我が国は廃墟の中から立ちあがり、殉国勇士の志を受け継いで国家再建に邁進し産業立国の大業を成し遂げたのである。このとき、郷土出身の戦没英霊をしのびまた終戦を促した世界最初の原子爆弾によってたおれられた国民義勇隊、動員学徒、女子挺身隊、徴用工員、その他国家総動員法によって国の犠牲になられた方々の霊を慰める事は、郷土を同じくするわれらの責任であり義務である。よって各部落長相議し前記の尊霊を合祀して、その殉国の志に感謝し、その功績を永劫に顕彰せんことを図った。さいわい町民各位の絶大なる御協力によって、この八幡宮の聖域に不滅の慰霊碑を建設する事ができた次第である。町民一同、今後この碑を仰ぎ、これを愛国の象徴、郷土の護りとして、崇敬するものである。 昭和四十一年十月戦没者慰霊碑建設委員会 建設委員長 中迫覚人 副委員長 北野胎三郎 岸本益三 建設委員 三満盛一外9名 世話人 3名 石工 香川県 寄付者 20万円1人 10万円3人 3〜1万5千円 23人 1万円45名 5千円60名 浜電迫 26名 刎条迫 55名 中村迫 41名 上条迫 42名 植田水尻33名 西側迫 28名 森浜迫 116名 横浜一部 80名 横浜二部67名 横浜三部79名 小屋浦部落会46名 小屋浦自治会33名 浜宿部落166名 刎修部落211名 中村部落144名上条部落 170名 西側部落111名 森浜部落277名 植田部落145名水尻部落 37名 坂 町 坂町農業協同組合 坂町漁業協同組合 (金参拾万円) (金弍拾万円) (金五万円) ◎「坂町」が、「神社」の慰霊碑に、公金を出している! (写真は2012年5月8日撮影) |