凱旋碑・忠魂碑類調査報告について(詳しい方法と方針)


1.位置付け

 この調査報告については、1994年から1995年ごろを中心に集中的に調査して回ったものを基本にその後気が付いたところを若干手直ししたものです。系統的なものを心がけ発表していますが、まだ、ありそうで行っていないところもあり、あくまで中間報告です。その内時期をみて、また補完していこうと思っていますが、まあ、全く「書物としては売れる」ような性格のものではありませんので、ホームページにでも発表するしかないと思っています。問題意識は、民衆レベルで先の戦争をどう総括しているのかということです。

 地図については、大変なので作製していません。が、住居表示について綿密に記載していますので、市販の広島市街地図をたどって頂ければ位置は判ると思います。

2.契機

 きっかけは、「ヒロシマ案内」を作製するために、市内の原爆慰霊碑等を尋ね回った際に、近年良く話題になりはじめた皆実町の日清戦争凱旋碑(10番)にとどまらず、原爆慰霊碑のそばに「忠魂碑・凱旋碑」が仲良く建っている、原爆の被害と軍都廣嶋の加害が並んでいるのを見つけたこと(11番,12番,13番等)から始ります。奇妙なことに、それまで見てきた高名なカメラマンや著者によるヒロシマに関する正式出版書などでは、それらはタブーのようで見事にカットされていることに気が付き、これらを「原爆遺跡・軍都広島案内写真集」にそのまま掲載したところ、かなりの反響を頂いたことです。

  少しでも新聞や本で聞いたりしたら、とにかく現地に行って見る、「何よりも実地に見て回る」という「ヒロシマの今から過去を見て回る会の方法論」が契機を生み出したものとも言え、このような調査にもつながって行った訳です。

3.参考文献等

 そして、さきの書発表以降も、そのようなタブーを見る目が肥えてきたために、次々にそのようなものを「発見」して行くことになりました。これでは、かなりあるのでは?と思い始めたところに、教職員組合の方から、「小学校等の教育施設に戦争を称える碑があることについて教育委員会に抗議したことがある」と聞き、また大学院生から「その結果、広島市の教育委員会から『広島の石碑 心と形』という冊子が出ている。ただし第一巻だけで終わってしまっている。教職員組合からの追求をこれでかわしたらしく、これ以上教育委員会としては調査・発表する気はないらしい」との情報を得ました。

 『広島の石碑 心と形』については、市販されてはおらず、禁帯出で広島県立図書館にあるのを見つけ、著作権の関係で全部コピーという訳にはいきませんでしたが、「軍都広島」「天皇関係」を中心にコピーしました。

4.調査方法とその範囲

 それに記載があったのは(1,2.3、9、12,13,14、15,16,27,28,31,34、35、40、42)番……計16箇所(内、2,3、12,13、14、40、42の7箇所はこの冊子を見る前に既に把握していたもの)でした。勿論、全て現地踏査しました。それには問題になった各小学校等のものについては記載がありませんでしたので、教職員組合の方にある程度(教職員組合の方も全部把握していませんでしたが……5箇所ぐらい)聞いた上で、古くからある小学校を回り(24、25、26、37、39、54、56)番……計7箇所を見つけました。(内、24、25の2箇所は既に把握していました。)

 一様に教育委員会の説明板(1992年6月)がついていましたので、そのまま転記しています。『広島の石碑 心と形』から文書の拝借をした部分については※印をつけ、また説明板の文章はそのまま転記しています。20番の「宇品小学校の文字の消された碑」は、朝日新聞が興味持ち、追跡調査をしてくれたものです。

 この冊子にあったものと、問題になっていた小学校のもの合わせて21箇所です(その内9箇所は既に知っていました)が、外、40箇所近くは、それまでにすでに把握していたものもかなりありましたが、改めてこの冊子を参考にし、焦点を絞って、戸別詳細図や市街地図で、神社等にそれなりに目星をつけながら、実際にしらみつぶしに回って見つけたものです。更に目が肥えていったわけでもあります。情報提供もありました。

 このたびの更新(2002年4月13日)でまだ載せていなかった天皇関係碑を追加し、更にその後、小さな手直しもしています。忠魂碑・凱旋碑類については、広島市とその郊外を除いたら、まだまだ見つけていますが、余りにも多くて手に余るので、広島市とその近郊にあえて地域限定しています。

 なにしろ、私の住んでいる山口県の片田舎にも2件見つけていますし、海軍の呉市は勿論、観光地宮島にも岩国の錦帯橋にも、山口の長門峡等にも、と言った具合に目が肥えて行くに従って飛び込んでくるので、地域を広げたらきりがありません。

5.感想と調査をこころざす方へ

 各地方によって事情は若干違うと思いますが、靖国神社系列の護国神社には大抵、注目に値する(戦犯慰霊碑等も)ものがあると思って間違いありません。八幡宮にも多いように思えますが、なにも無い場合も結構ありますので徒労は覚悟しなければなりません。目が肥えていけば路上のものにも気がつくようになります。

 やってみた感想は、まず目的をはっきりさせ、地域も限定することが必要ということです。最初の手がかりは、やはり運動によって目を肥やすこと、特に広島の場合、先に書きましたが教職員組合の運動が、かなり力になっているという事情があります。

 全く手がかりがない場合は、一般の市街地図から、古くからある神社(時には仏閣)、小学校等にチェックをつけて現地調査していくのが、一つの方法と思います。

 碑を見つけたらまず全体を読んで見て、目的の碑にあたるかどうか見極めます。目的のものと判れば一件づつ、全て碑文をその場で、速記出来る筆記具(私の場合、細字のマジックインク)で書き写すのが原則ですが、難しい漢字の羅列の上に文字はかすれたりしていますから、結構時間がかかり、どこまで書き写すか思い切りが必要ですし、人名等は全て写す訳にはいきませんから人数だけでも、といったように、工夫する必要があります。(まだ試みていませんが、デジカメが案外役立つかも知れません。)系統的な調査をめざしても、余り欲張って完全主義を取らないことです。

 ある程度やってみた上で、出来そうと思われたら、一定時期を選んで集中的に調査されることをお薦めします。運動不足の身には、結果として、健康保持にも役立つ楽しい作業です。