2−2.機密の島「金輪島」で見たものは (2)

 
   
 
   
 それから弾薬庫がその近くにあったと江種さんの資料にあります。見渡してみると、畠の古いコンクリート雍壁を見て「あっ、これに違いない」と気づき、地元の人に尋ねたら、「弾薬庫の中を埋め立て畠にしたもの」との答えを貰い確認できました。(こういうのに気がつく、というのが年季というもの、と威張っていましたら、後に江種さんに尋ねて、これもそうだが、山の反対側にもっと迫力のある物が残っているとのことでした。そこまで見つけられなかったのが残念。)
   
 

この島に運ばれて無くなった500人もの原爆犠牲者を悼む「御魂安かれ」とある1998年8月3日建てられた金輪島新慰霊碑ももちろん訪ねました。  

 1998年建てられた「金輪島原爆慰霊碑」前で  

碑文「御霊安かれ
一九四五年八月六日、広島に原子爆弾が投下され、街は一瞬のうちに破壊し、熱線に焼かれて跡形もなくなった。市民は熱線と放射能で即死、又は全身に火傷を負って逃げまどった。そのうち約五〇〇人位が金輪島に運ばれ、暁部隊の方などに助けられ、看護を受けた。負傷者は血だらけで、手をにぎると皮がつるりとむけ、水をくださいと叫びながら、次々に恐怖と苦悶の中で息絶えたという。同年八月一五日、ついに終戦して戦火はやんだ。今日、広島は平和都市として復興し、我々は平和の恩恵を受けているが、この平和は50余年前不幸にして戦火の中に亡くなられた方々の犠牲のうえに築かれたものである。
 この碑を建てることにより、金輪島で息絶えられた方々の御霊を慰め、共々に平和を守る気持ちを新たにしたいと思う。

平成十年八月二日建之 金輪島慰霊碑建立委員会」