8−2.大浦崎特殊潜航艇基地跡(倉橋島)

   2012年5月8日訪ずれてみたところ、レンガ造りの建物以外はほとんど封鎖されていました。場所は呉・音戸 波多見六丁目22と住居表示ががはってありました。(写真撮影2012年5月27日)
   
 (写真撮影2012年5月27日)
   
 (写真撮影2012年5月8日)  
   
   (写真撮影2012年5月27日)
   
   

展望台の下の建物の中に入るとやはり地下要塞のあったらしきところへ通じている地下施設への入り口(写真左)がありましたが、余り深くはありませんでした。(写真下)

「地下壕に埋もれた朝鮮人強制労働」(1993年)には、もっと入り口が多くあったように書かれていますが、その2年後には、この写真のとおり。5年後にはこのように入ることも出来ませんでした。

「発見」され話題になると、「危険」という理由で次々と封鎖されていくのが残念です。今はどうなっていることやら。行く度に封鎖されていっています。

「倉橋島」は、広島の人にとっては「つり場」として有名ですが、倉橋町史の「埋蔵文化財」として、近代の旧海軍施設跡42箇所を紹介することとしている(1997年の方針)ことでも判るように、このページで紹介している以外にも驚くほど数多くの戦争遺跡が残っています。しかし、このように「保存」するどころか、どんどん「封鎖」「破壊」されていっているのが実情です