8−1.大浦崎特殊潜航艇基地跡(倉橋島)

   音戸大橋を渡って、瀬戸の風光明媚な島、倉橋島に入ると、このホームページの6.凱旋碑・忠魂碑類調査報告の60番(最後)の倉橋島忠魂碑でも触れていますが。道の左に「嗚呼特殊潜航艇の碑 八幡山神社」という目印の木柱が立っています。その向かい側の八幡山神社下に「鳴乎特殊潜行艇」(昭和四十五年八月特殊潜行艇関係者有志建之 施工者 中田政雄 石工今井某)と書かれた碑(写真上)と、その裏に人間魚雷「海龍」「回天1型」「蛟龍(甲標的丁型)」「甲標的甲型」「特殊運貨筒」等五種類の絵図(右のもの)と内容を記した「建碑記」という碑があるので紹介しておきます。(「地下壕に埋もれた朝鮮人強制労働」にも記載あり」)。

写真は2012年5月8日撮影。
   
 「建 碑 記
昭和十六年十二月太平洋に戦端開くや長駆してハワイ軍港に潜入 米艦隊主力を強襲して緒戦を飾れるは我が特殊潜航艇甲標的なり即ち特別攻撃隊の初とす 次で西にマダガスカル南にシドニーに遠征英濠艦隊を震撼せしめ全軍の士気大いに振う 更にキスカにソロモンに転戦して戦局を支え 特運筒また前戦の補給に挺身す 時に部隊はこれを各地に迎え撃ち、ミンダナオに沖縄に蚊龍の戦果見るべきあり 回天またこの地に発して粉塵し 海龍ともども本土決戦に備う 二十年八月遂に兵を収め戦没並びに殉職の英霊三百余柱を数う 戦友ここに相計り その勇魂を仰蒸し 特殊潜航艇の偉功をとどめて後世に伝う    昭和四十五年八月  」

写真は2012年5月8日撮影。
 
   
   写真は2012年5月8日撮影。
   

そこに行く少し手前に「水産試験場入り口」とあり、大浦崎公園とある広い公園に入ると「特攻基地大浦崎(P基地)」とある碑が立っています。 

碑文を読めば、ここに人間魚雷の特攻訓練地区があったことが判ります。

碑文「特攻基地大浦崎(P基地)
昭和17年10月極秘裡に工場の建設が始められ、翌18年3月創業開始これが特殊潜航艇(甲標的)製作専門の呉海軍工廠分工場であった。また時を同じうして搭乗員の養成が始められ受講者は艇長、艇付、合せて約2600名内、戦死者は439柱に及んだ、当基地の任務は甲標的の生産、搭乗員の養成、特攻兵器の研究、開発で、昭和20年になると甲標的丁型(蚊龍)の完成をみ一方回天(人間魚雷)も実用段階に達して来るべき本土決戦に備えたが、同年8月15日終戦をむかえて基地は廃止され現在では平和な公園、町民いこいの場所となっている。
 平成4.2 建之

しかし残念ながら小高い遊歩道のある丘の下にレンガ造りの建物(写真下印象深いので2枚)一つと、良く見ればそれらしき残骸が残っているだけです。

朝日新聞広島版に2007年8月25日より「特殊潜航艇の記憶」という記事、さらに12月7日から海上挺身戦隊の記憶という記事と連載ホームページ記事が出ており、当時のことが詳しく書かれていました。


012年5月8日5月27日に再調査しています。それぞれ14枚、12枚の写真を公表しています。

上記日付をクリックして頂ければそこにジャンプします。

 
   
   左の写真は1998年2月のフィールドワーク時