1ー3.2014年3月6日、観音地区公開フィールドワーク(21)〜(30)

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三戰役紀年碑
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 殉国国民義勇隊慰霊碑です
「殉国国民義勇隊は建物疎開に出動し被爆された ここに犠牲となられた多数隊員の霊を慰める」昭和46年8月6日 広島市長 山田節男 とあります。 あの日、西観音町から国民義勇隊が県庁付近(水主町)へ建物疎開に出ていて、270人全員が死亡したといいます。
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 広島工大専門学院の前の「平和」碑 

1985年に建てられたモニュメント。「平和」とあり、その下は、英語の「Peace」から始まって、世界18か国語のそれを示すと思われる言葉が刻まれています。

その後ろには「平和な社会は、意見の異なる者が共存するところにある 1985」とあります。

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 車で観音新町一丁目にある黄魂彦神社に。

門から入ると、「遷座記念碑」「鎮霊百五十年記念碑」「當社勧請百年祭記念」「尾形翁頌徳碑」「道路改修紀念碑」と続いています。  この神社は1818年この地に勧謂せられたと伝えられるが、爆心から3200メートルで全焼地域ではないので、被爆遺跡とはいえない。ただし本殿(木造)は戦前からのものというから、被爆建物の範疇に入ります。 また「尾形翁頌徳碑」と「道路改修紀念碑」とは、爆心から、約2000メートルの全焼地域にあったもので、被爆遺跡の範疇にはいります。
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 この凱旋碑も日清、北清、日露の凱旋碑です。

(表) 凱旋碑 (左) 大正三年9月建之

 (裏) 顴音村沖組出征兵士人名   明治二十七八年事件 明治三十三年事件 明治三十七八年事件 出征  勲七等 住村米藏   明治二十七八年事件 明治三十七八年事件 出征  勲八等 磯井増次郎 外3名  明治三十三年事件 明治三十七八年事件 出征  勲七等 今村好太郎 外5名  明治三十三年事件 出征  勲七等 尾形兵次郎 外1名  明治三十七八年事件 出征  從六位 勲四等 尾形十太郎 外14名

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「道路改修記念碑」は南観音3番地南端にあったものだとすると、爆心から約1900メートル、全焼地域の被爆遺跡ということになるので紹介します。

 表 道路改修紀念碑
 裏 天満川西沿流有村日觀音戸口蕃殖殷賑日加而道路狭壱隘車馬往来貨物運輸公私共困  有志者憂之 詣市廳議改修 可之謂納金若干玖助工事即可之遂以本年四月起工踰月所  工畢釈道坦然東西相通隣々之響恐々之音農夜無絶可謂盛牟於是ト吉日落之且勒梗 干  貞眠玖皆来者云    水谷貢撰
  世話人 高橋伊三郎等12名の名前
 右 明治四十五年六月二日中組建立
 左 發起人 尾形武三郎 故田賀寅三郎 田中忠彦
※ 建立年月日 明治45年6月2日
※ 建立の由来 観音沖地区の農、海産物を当時の繁華街鷹野橋にもち込むにあたり、天秤にかえ荷馬車輸送を可能とするため、旧観音橋から観音高校グランドを経て、太田川放水路に至る略直線の西走道路を開通させた。これを記念したもの。
※ その他、特記事項 もと南観音3番地南端にあったものをこの地に移したといわれている 

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   建設もほぼ終わった広島南道路が見える観音新町四丁目の三菱グランド北の空き地に「昭和新開開墾記念碑」。爆心から4キロ近くになります。

戦争のために突貫工事で三菱の埋め立て地を造成していったことを示す記念碑です。
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 上にもうすぐ開通するほぼ完成した広島南道路。