5−3、2013年3月16日 山田忠文さんを偲ぶ広島の集い(21)〜(30) | |
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右端は田中利幸さん。その隣は平野伸人さん。 | |
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李根睦(イ・グンモク)さんに「恨(ハン)」刊行を報告する山田さん。 | |
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画家の吉野誠さん。 |
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オカリナの演奏で追悼する。 | |
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吉野さんも沼田鈴子さんや山田忠文さんと共にアジア侵略戦争の日本の加害行為を心に刻み、被害者を支援し戦後責任を果たしている。 |
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メッセージを読み上げる平木薫さん。 映画監督・呉徳洙(オ・ドクス)さんからのメッセージ。 |
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中北龍太郎弁護士(関西共同行動)のメッセージ。 | |
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ご歓談の時は短く。 |
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久野成章さんの名調子で出席者からのスピーチに入る。 | |
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まず、在間秀和弁護士(大阪)。 | |
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山田忠文さんを偲んで・・ 今、振り返ってみると、多くは8.6広島集会や新春合宿といった多くの人がいる会合でお会いする程度で、本当に心を割って、人生を語ることはなかったかもしれないと、少し心残りです。私は、市民として、思い立ったことを行動し、実践していくタイプの人間ですので、危なっかしく思われていたかもしれません。「湯浅さん、今度、アジア友好学院というのを始めるんですよ」と、いきなり色々な話をお聞きしたことを思い起こしています。 ありがとうございました。 2013年3月15日 湯浅一郎(ピースデポ、環瀬戸内海会議)
参加できませんので、メッセージを送ります。 89年に広島平和公園前の病院で生まれた息子は、今年、24歳になり、私たちも61歳になります。 広島の忘れられない人たちのなかに山田さんがいます。少数派の困難な闘いのなかでも、いつも夢を追い求めていた山田さんでした。 山田さんもきっと、やり残したことがたくさんあっただろうと思います。 世の中が、右に、右に流れていく中で、その思いはひとしおだったのではないでしょうか。 山田さんのやり残した思いを心に刻まなくてはと思います。 山田さん、ゆっくりお休みください。 大畑龍次 |