5−2、2013年3月16日 山田忠文さんを偲ぶ広島の集い(11)〜(20)
 
 (11)
  三菱を相手取った裁判をはじめとする戦後補償運動を共にになってこられた。


 (12)
 

「山田さん、早すぎた。まだまだ、やり残したことがあっただろう。今日は娘さんと姪御さんが出席された。

全国から多くの人が来てくれた。何を引き継ぐのか、これから何に取り組んでいくのか。共に考えたい」。

 (13)
 正木峯夫さん。「三菱重工韓国人徴用工原爆被爆者・沈没遺家族を支援する会」。
 (14)
 

覚悟のお方に謹んでお別れを申し上げます、

思えば、コムズに集まって強制連行のあとを辿った日々は懐かしい限りです、

あなたとは政治犯救援会の古くから会っていたのに親しむことわずか20年少し、

音戸の全国大会そして東北アジアセンターにつないで戴いた恩義は決して忘れません。

ありがとうございました。

さて私もやがてたどる自我消滅の道行きをあなたは一歩先に行き、

『時』ばかりがすべてを運ぶ。良く生きて『過ぎ去るもの』に合掌礼拝いたします。

お疲れ様でした。お世話になりました。しばしさようなら。

   正木峯夫、(20121128日真宗学寮の庭にて)

 (15)
 

「思い出のスライド上映(在りし日の山田忠文さん)」。

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 右が忠文さん。左が弟さん。
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 結婚直前の27歳のころ。
 (18)
 息子さんと娘さん。
 (19)
 

この写真は貴重です。

故・村田久さん(北九州)、田村順玄さん(岩国)、舟越耿一さん(長崎)、山田忠文さん。

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 手前の眼鏡の人は足立修一弁護士。向こうの眼鏡の人は矢野秀喜さん。
 

               

 

━━ 山田さん! 本当に残念です ━━

2013年3月16日  映画監督・呉徳洙

 

山田忠文さんとのつき合いは、今から15年ほど前の映画『在日』の広島上映会がはじまりである。渡された名刺には「広島アジア友好学院」とあった。どういう組織かとたづねると、「被爆都市広島に依拠しながら、日本軍による重慶爆撃をはじめとした加害の立場からアジアとの友好を深めるため、中国との交流やモンゴルの植林などを実践している」との説明であった。肝胆相照らすと言えば多少大仰だが、日頃、被害の立場からだけの日本の平和運動に疑問を抱いていた私は、同志を得たような嬉しさがあった。しかも、人柄であろうか、重いテーマなのに、ひょうひょうと語る口調に好感がもてた。聞けば、私と同じ1941年生まれの巳(み)年だという。そのことも手伝ってか、さらに親しみがわいた。

ある夜、市内のちゃんこ料理屋でナベをつつきながら酌み交わしたことがあった。世代論議にお互い意気投合した。つまり、こうだ。1941年生まれは、日米開戦の年に産声をあげ、戦後六三制のトップ引きでありながら、60年安保世代からは遅れてきた新参者と子ども扱いされ、70年全共闘世代からは挫折者と揶揄される中途半端な哀しい世代であると・・・・。同じく益田上映会でお世話になった、やはり同い年の福原孝浩さんも仲間だと酒の肴にし、同類相哀れんだ。それも今や、遠い思い出となってしまった。

かって山田さんは、私に「モンゴルの広大な平原をバックに、植林する活動を映画にしてもらいたい」と熱く語っていた。それも今は叶わぬこととなってしまった。残念である。

私は今、韓国人徴用工被爆者裁判の記録集『恨(ハン)』の中に控え目に写る姿を見ながら静かに山田さんを偲んでいる。

山田さん、どうか安らかに・・・・・。

合掌

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2013年早春

山田忠文さんを偲ぶ

中北 龍太郎(弁護士)

 山田忠文さんのご冥福を心よりお祈りします。

 私と山田忠文さんとの交流は、8.6反戦・反核広島集会を通じてでした。加害―被害をトータルに普遍化した反核・反戦運動の場として営まれてきたこのつどいは、関西の私たちにとってもかけがえのない存在でした。その思想的・実践的支柱だった山田忠文さんの逝去は、関西で反戦活動の一翼を担ってきた私たちにとっても残念の極みです。

 侵略戦争を美化する歴史観に立って、再び日本を戦争をする国にし、戦後平和・民主主義の全否定を本質にしている改憲の動きが本格化している現在、まっとうな歴史認識に立って、核も戦争もない世界をめざしている平和憲法を輝かせ、改憲の息の根をとめる思想・実践が求められています。

 そのためにも、山田忠文さんが紡いでこられた思想的・実践的営為を私たちがしっかり学び、引き継ぎ、活かしていくことが欠かせません。山田忠文さんを偲びながら、そんな決意を新たにしています。私たちは、山田忠文さんの志と共に、勝利をめざして最後の最後まで闘い続けます。


正木峯夫

 

覚悟のお方に謹んでお別れを申し上げます、思えば、コムズに集まって強制連行のあとを辿った日々は懐かしい限りです、あなたとは政治犯救援会の古くから会っていたのに親しむことわずか20年少し、音戸の全国大会そして東北アジアセンターにつないで戴いた恩義は決して忘れません。ありがとうございました。さて私もやがてたどる自我消滅の道行きをあなたは一歩先に行き、『時』ばかりがすべてを運ぶ。良く生きて『過ぎ去るもの』に合掌礼拝いたします。お疲れ様でした。お世話になりました。しばしさようなら。正木峯夫、(20121128日真宗学寮の庭にて)