11.専立寺のソテツと墓石   (南区京橋町10−7)
   
 

広島市が出している被爆樹マップを見て、この専立寺には墓石の紹介の為何度も訪れていますが、このソテツが被爆樹だとは気が付きませんでした。寺の正面玄関前に説明プレートを付けて左右に並んでいます。

親株は黒く焼け焦げ、その後新しい芽が伸びました。現在は場所を移し、株を分けて育てられているとのことです。

2012年9月15日撮影。
   
 

付けられている説明プレートは左右とも同じ文章です。

「被爆樹木 ソテツ

爆心から1,590m

このソテツは、1945(昭和20)年8月6日の原爆で地上部を消失しましたが、その後、根元から芽を吹き返しました。」

2012年9月15日撮影。

 
   
    このホームページの特徴は、墓石を多く取り上げているのが一つです。原爆の凄まじさを今に生々しく伝える遺跡として、被爆建物が年々少なくなっている中で、最も分かりやすいと思われるからで他意はありません。原爆犠牲者を今もって丁寧に弔っている寺、そうでない寺など色々ありますが、近くに寄られたら是非中へ入って見ることをお勧めします。
 ここの墓地には多くの被爆し傷ついた墓石がありますが、年々少なくなっているのはどの寺も同じようです。すさまじい割れ目は原爆で傷ついた物と思われて差し支えありません。

202年12月15日撮影。
   
 右の墓には「このお墓の有縁の方、または所在をご存じの方は、至急お寺までお知らせください。住職」と札がありました。(他にも)

202年12月15日撮影。
 
   
   

また、左の墓石は3名の名前が、日付は8月11日以降ですが、はっきりと「原爆死」とあります。

 

 

 

この地区では他に源光院(京橋町4−7)の墓地には七つの地蔵と無縁墓、廣寂寺(稲荷町2−5)には奥に行くほど被爆し傷ついた墓石を見ることが出来ます。くれぐれも犠牲者への敬虔な心を忘れない事です。

202年12月15日撮影。