12.京橋       (京橋川)
   
  京橋の名の由来は、毛利氏が広島城を築いて以来、広島から京へのぼる出発点にあたったことにある。広島で最も古い歴史を持つ橋である。明治以降、特に広島が軍都として賑わいだしてからは、広島駅からここを通って軍人や政府の高官達は広島城周辺の軍事施設へ向かっていった。1926年に鉄筋コンクリートの強固な橋に建て替えられていたため、爆心から1,380mにもかかわらず、欄干も含めほとんど橋の損傷は無かった。現在までそのままで残っている唯一の橋である。それと対照的にこのあたりの惨状は目を覆うばかりだった。原爆の凄まじい閃光の直後、家屋は爆風に叩きつけられ、燃えだした。この橋を渡っていた人達も付近の人達も即死ないし負傷した。そこに、大火災から逃げんと中心部からの被爆者が続々と押しかけてきた。そしてここは、地獄絵の舞台となってしまった。

写真はいずれも2012年5月16日撮影。
   
 

橋長64.5m、幅員8m。

写真はいずれも2012年5月16日撮影。

   
 写真はいずれも2012年5月16日撮影。

説明板が付けられている。

「京橋のことを次世代の子どもたちへ

 毛利輝元が広島城を築いた16世紀末頃に架けられた橋。当時は、幅約5メートルの木橋で、城下から京都に向かう道の出発点にあるため京橋と名付けられました。

 現在の橋は、昭和2年(1927年)に架け替えられたもので、原子爆弾の惨禍に耐え、被爆者の避難や救援の通り道になり、多くの人の命を救いました。

 静かにたたずむ京橋には、広島の発展の歴史が刻まれています

国際ロータリー第2710地区

2006−2007年度事業

地区大会記念事業

京橋ライトアップ施設寄贈

平成18年(2006年)10月15日」