15.消えた宇品線大洲口鉄橋(南区段原四丁目・西蟹屋四丁目、猿猴川・平和橋)

   
 

爆心から二千五百メートルの鉄橋。被害はほとんど無かったので、つい2000年まで頃まで、使用されないままそのまま残っていました。(左の写真は1992年12月7日撮影)

大正橋のそばの「段原町内会原爆慰霊碑」からさらに東にずっと歩いいきますて平和橋というのが出来ていますが、そこにありました。広島駅からだと20分以上かかるでしょう。2002年、右の通り取り壊し工事が行われていたのに遭遇しました。でその名も「平和橋」と変わってしまったわけです。
 宇品線は主に軍用鉄道。翌7日には鉄道マンの必死の努力で復旧、初列車第437列車がこの上を通過していった歴史も消えました。

   
 現在は広い平和橋となって多くのファンを新しく出来たマツダスタジアムに運んでいます。