16.三戸商店レンガ造り蔵 (南区大洲一丁目9−39) | |
爆心から2940m。 被爆時日本特殊グリース工場長宅蔵。 1924年(大正13年)建築といいます。倉庫というより土蔵というようなものだったらしい。ここの所有者の熱意もあって今まで保存されてきましたが、段原再開発の関係で(都市計画道路東雲大州線)、ハッキリしないが早ければ半年後(2012年10月現在)にでも取り壊されることになるのではないかと残念がられている。この建物は原爆投下の時には比治山の陰になって助かったといわれます。近くの平和橋(宇品線大洲口鉄橋が2002年に取り壊されたのを(前頁掲載)惜しんでおられました。話をされたのは、三戸商店のガソリンスタンドにおられたここのオーナー。昭和13年京橋近くで生まれ、済美学校幼稚園に行かれていたが、1945年の原爆投下時は7才で海田町におられて助かったと言われます。レンガ造り建築についてよく勉強されていました。 |
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広島市の被爆建物リストでは倉庫となっていますが、昔多かった日本家屋付属の土蔵、その土蔵をレンガで作ったもの。当初は米国人が居住していて、その影響で煉瓦造となったとも言われる。レンガ積みにはフランス式と英国式とがある、ここのは英国式といいます。 入口やその庇、屋根の形状は和風の色彩が濃く、外壁を漆喰で塗れば日本家屋の蔵です。戦前この一帯は、猿猴川の水運や広島駅に近いという交通利便性を備えた工場地帯でした。
(参考 1994年10月22日、日本建築学会中国支部レンガと町づくりシンポジウム実行委員会発行「煉瓦建築見学会資料『レンガと町づくり』」) (写真は2012年10月5日) |
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早速2012年10月18日のフィールドワークでお伺いしました。こちらのご主人、伺えば喜んでお話しして貰えます。(ガソリンスタンドですから大抵おられるようです。) |
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扉を開けて貰いましたが中には何も入っていないそうです。
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この屋根も独特のものです。 |
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ご自慢の庭にも案内して貰いました。石燈籠は被爆前からのものと言われます。その他庭には多くの物が被爆前からあるそうです。石造りの物は「全焼区域」(爆心から2キロ前後)が被爆遺跡ですから、ここのはそれにはあてはまりませんが。 建物の方は、小さいですが、話題になっている陸軍被服支廠跡が爆心地から2,700メートル、糧秣支廠跡(郷土資料館)が3,200メートルですからその中間の距離。被爆の痕跡は特にありませんが、もうすぐ取り壊されるということですから、是非行って見られる価値はあるようです。現地でお話しが聞ける稀有なものです。
連絡先082−281−2713、三戸偉仵さん。
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