10.幟町中のエノキと折り鶴の碑   (中区上幟町14) 
   
 駅の方から京橋を渡ってすぐ、右手に幟町中のグラウンドが堤の向こうに見えるます。その一本は、、堤の上、幟町中のクラブハウスの裏にあたりますが、10年前。生徒に尋ねても判りませんでしたが、用務員の人に教えてもらったものです。爆心地側に傷を持っているのが判りましたが説明板版はついていません。用務員の人の話ではこの他にも被爆樹は幟町中内に被爆樹は何本か残っているとのことでした。その後、右の縮景園よりの倉庫の裏のものが被爆樹とわかりました。熱戦に焼かれた跡の大きな空洞をもっています。説明板によると、元は縮景園内にあったようですが、戦後幟町中学校が開校した際に、中学校の敷地に取り込まれたそうです。そばに下の写真のように被爆アオギリ二世がすくすくと成長しています。

左の写真は2002年9月8日撮影。
   
 2006年3月16日、毎日新聞ホームページに、右の方のエノキについて、被爆樹木:「頑張れ生き証人」 広島・幟町中の1、2年生9人が治療を見学、同日読売新聞ホームページに「被爆エノキ“治療”開始」と、中国新聞には「原爆生き抜いた木を治療」と報じられていました。

写真は2013年4月3日撮影。
   
 

説明板

被爆樹木 エノキ 

爆心地から1,420m

このエノキは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残ったものです。もとこの場所は縮景園の敷地でしたが、中学校が開校したとき、学校敷地に取り込まれました。エノキは、原爆の熱線に焼かれ、根元から枝が別れるところまで深いうろになっています。」
写真は2013年4月3日撮影。

 
   
 なお幟町中学校と言えば平和公園の千羽鶴の像(原爆の子の像)で有名になった佐々木貞子さんの通うはずだった学校、大きな折鶴の台がおいてあります。
写真は2013年4月3日撮影。
 右の3枚の写真は2000年3月、折り鶴の碑の除幕式の様子。
 
 
   
 中学校の玄関から中に入ってみると左に色々な遺品、遺跡が凛冽されていました。
「沼田」とあるしゃもじも。沼田鈴子さん関連のものかな?