白島九軒町の東側、京橋川沿いに細長い白潮公園があります。2005年の4月2日、漸く桜が蕾を見せ、春を待ちかねたように、少なからず、「お花見」の弁当を広げる人たちと、チョット離れて、川を背にしてこの慰霊碑が鎮座していました。
この碑の両側には、花壇らしき囲いがありますが、まだ春先ゆえ何も咲いていませんでしたので、写真からはカット、また前には「慰霊碑専用」とあるポリバケツが置いてあり、この地区の人たちのこの碑への「思い」を知ることになりましたが、写真を撮る時だけ、除けさせて貰いました。
碑の存在を知ったのは、2005年1月22日の中国新聞の広島地方版の白島九軒町を紹介する記事に「原爆伝える決意の碑」として下記の町内会長の国分さん等地区の人5名が撮っている記事を目にしたためで、7年前、多くの負傷者がここに逃げてきて、亡き骸はここで荼毘にふした、その思いを「風化させたくない」という思いで、町内の人たちの協力で建てられたそうです。
写真は2005年4月2日撮影。 |