24.広島逓信病院(資料館と階段モニュメント)   (中区東白島町19−16)
   
 

1973年に建て替えられ、かっての診療棟のみが残されていましたが、1995年8月、旧診療棟(外来棟)の一部が小規模な資料館として再生されました。当時の手術室も復元されています。広島逓信病院に申し込めば無料で見学できます。

※郵政民営化のあおりで資料室の管理は郵政公社から逓信病院に。以下は、日本グループ広島ビルの方へ

左の写真は1995年12月26日

   
 

 平和公園内にある被爆アオギリはここで被爆したものです。建物の下敷きになりながら、奇蹟的に救出され、このアオギリの下で寝かされ、大腿部切断という被爆の障害にもめげず、熱心に平和運動に取り組まれてきた沼田鈴子さん(2011年7月12日亡)が被災され手術されたのはここです。(土日等休日は駄目、8月6日にはここ数年開放されているそうです。慰霊式もありますのでそのつもりで。)

右は2013年4月3日撮影

 
   
   左は2013年4月3日撮影
   
 右の写真は1995年8月24日
   
 右の写真は1995年12月23日
   
 
左は、逓信病院階段モニュメントと、写真を見ながら階段を降りたところで見たきれいな光、赤や「青い光(東海村臨界事故で故大内さん等が見たのと同じような)のことを説明する沼田鈴子さん。


左の写真は1993年12月14日
   
 関係の郵便局は市内に散在し、犠牲者の数も五百を超えるといいます。焦熱地獄の中に散った本局員288人をはじめ、全て合祀されました。当時の階段のモニュメントに米軍戦略爆撃調査団の撮影した当時の写真が、銅板にしてはめこけられています。

右の写真は1995年12月23日
   
  郵政被爆資料室
2014年5月20日撮影
   
   郵政被爆資料室内手術室
2014年5月20日撮影
   
   「生ましめんかな」碑と被爆アオギリ2世
2014年5月20日撮影
   もう一つの被爆アオギリ2世
2014年5月20日撮影
   郵政階段
2014年5月20日撮影