2006年6月再訪したところ、「被爆建物、被爆時の名称 陸軍幼年学校炊事室(爆心地から1,340m) この建物は、1945年(昭和20年)8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。広島市。」(英文あり)のプレートが貼り付けてあって喜んだのもつかのまだったようです。
2006年6月の姿と、12月中旬及び翌年1月中旬、解体を待つ旧陸軍幼年学校炊事室の写真、及び5月解体された跡の写真は下に。
(2006年7月1日現在)
「被爆建物」とプレートが設置してあるのを見つけ、喜んだのですが、その時、既に「解体」の話が進んでんでいたとは!
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