原爆により,爆心地を含めて半径1000m以内にあった袋町学区では,住民およそ23,000人は市外に出ていたごく一部の人を除いて、ほとんどが即死に近い状態であり、またこのほかに学区内に出勤して、あるいは通勤途上で被爆した犠牲者も多大な数にのぼると考えられる。
これらあまたの原爆死没者の地区慰霊祭は、1991年(平成3年)までに15回袋町小学校で開催されてきたが、永久的な慰霊碑を建立したいという声が高まり、1992年(平成4年)2月に袋町地区社会福祉協議会を中心に慰霊碑建立委員会(会長:新田篤美氏)が結成され新旧住民に募金を呼びかけてきた。
こうして被爆から47年ぶりに建立された慰霊碑は、比治山女子短期大学の吉田正浪教授制作の「母」と題するブロンズの母子像である。台座正面には「母」と刻まれ、後面には前記の碑文が彫りこまれている。この台座と敷石の一部には,旧広島市庁舎と旧元安橋の被爆石が使われている。一部を除いて ほとんどが即死に近い状態であり、またこのほかに学区内に出勤して、あるいは通勤途上で被爆した犠牲者も多大な数にのぼると考えられる。
(撮影2013年10月20日) |