2.平和記念資料館(西館)
   

さて、以前からの原爆の被害を訴える西館に来ました。東館を時間を気にして急いだ場合、その勢いで、肝心の西館も急いで飛ばして行く場合があります。また子どもさんの場合、おばけのような「ロウ人形」をを見て、怖がって一挙に逃げ出すこともありますから注意が必要です。私たちはよ良く、この「ロウ人形」の前で記念写真を撮ります。そして、なぜ犠牲者たちは、このような「おばけ」のような格好で歩かなければならなかったのか、皮膚が垂れ下がり、このような格好でもしなければ、体じゅうに巻きついてどうにも動けなかったのだ、などじっくり説明します。あとは、東館と違い視覚に強く訴えるものが充分にあります。

平和な毎日にすっかり埋没してしまっている私達にとって、この展示物はたしかに強いショックを与えるに違いありません。ぜひ、じっくりと、十分に想像力を働かせて見てほしいものです。一つ一つの遺品が激しく何かを訴えてくるのが判るでしょう。そしてこの資料館を見た人は等しく「原爆はあってはならない」と強く思うでしょう。

 写真は1996年1月撮影。
   
 しかし、すべての核は直ちに廃棄されなければならない、と考える人と、いやこんなに恐ろしいのだから、もっと核抑止力を強めて自国を守らねばならない、と考える人の二つに分かれようです。前者は大体において、権力のない民衆であり、後者は権力の座にある者達か、彼等に 頼って生きている人達でしょう。中曾根元首相などは、この資料館に二度も来ていながら、その思想を少しも変えようとしませんでした。何よりも必要なのは、「核廃絶」への「強い意思」と、「行動」です。

写真は1998年年12月撮影。
   
 

なお2002年春、それまで放射能の影響についての説明が弱いと指摘されていたのに答えるように展示のその部分がリニューアルされました。左は放射線測定器。手にとって操作できます。 

2006年4月21日、国の重要文化財に指定されることが決まり、7月5日官報で告示されました。

写真は2002年8月9日撮影。

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 写真は2007年12月23日撮影。
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 写真は2004年5月1日撮影。


被災した3人の生徒の服を合わせて造ったもの。

 

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爆心から2700メートルの被服廠の曲がったレンガ

 

 

写真は2004年5月1日撮影。
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住友銀行石段

 

写真は2004年5月1日撮影。
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西館内被爆後の模型

 

 写真は2005年12月24日撮影。
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被服廠の風圧で曲がった鉄扉

 

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 被爆瓦を手で触れてみる
(9)   

廊下からは、このように、原爆慰霊碑、原爆ドームが一直線に見えるように設計されています

 

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   西館(原爆資料館)外観
   

東館(右端)が出来るまではこの西館だけで展示(国、重要文化財に指定されるのはこれか?)