7.西向寺の墓石  (中区大手町一丁目6−18)
   
 

西蓮寺のすぐ隣、原爆ドームのある緑地帯の道路を隔ててすぐ左に小さな墓地があります。あたりにいた人は、一瞬のうちに遺体も残さず影だけになって死亡。被爆の跡を残している墓石は数少なくなっていますが、まだかなりあります。被爆した墓は「石ハネ現象」といいすべて頭頂部のみが原爆の熱線で焼け、ザラザラしています。これは、花崗岩で出来ている墓石の表面の石英が、熱変成により膨張し、他の造岩鉱物の膨張率との間に差が生じてはじけ飛んだ物と考えられています。原爆の熱線は、1秒の何万分の1という一瞬の内に墓石表面を焼いて、石英部分をはじき飛ばし、その後に爆風が墓石を吹き飛ばしました。

墓の下の方が黒ずんでいるのが見えるのは「黒い雨の跡という説もあります。

右は2013年5月17日撮影
   
 

また、8月6日死亡(ないしはその直後の日付)とあるお墓も多く見受けられます。中にはずらりと並んだ全ての死没者名が、はっきり「原爆死」「原爆症」と書いてあるお墓もあります。入るには一寸気が引ける感じですが、被災者への敬虔な気持ちを持って是非立ち寄られることを薦めます。墓石は多くの文献や展示にありますがが、寺の名前は大抵伏せられています。(宗教的なもののため。)しかし、「語り部」の方も良く案内されるようです。なお、西向寺の本堂・門信徒会館は2000年8月の原爆忌を前に建て替えられましたが、爆心地の寺ということもあって、自由に入って参拝できます。(浄土真宗・本願寺派)

他にも多くの爆心地近くの寺には同じようなお墓がまだまだ沢山あり、入り口は新しくなっており、原爆とは無関係のようにちょっと見えますが、奥に入るにつけ、「8月6日死亡」とある墓石や被爆墓石が見つけられます。今では石だけが原爆の跡をそのまま残しています。

左は2003年8月1日撮影
   
 右は1994年12月撮影。  
   
             
 
 下に5枚の写真を掲載  
   20013年5月17日撮影

原爆で破壊されたた墓石

 

このあたりいくつも原爆で破損した墓石があります。

 

   
 そう多くはありませんが、あちこちに見えます。

2004年6月20日撮影
   
 

昭和二十年八月六日と刻まれた墓石もあの日を刻んでいます。

 

 2004年6月20日撮影
   
   新しい墓石にも昭和二十年八月六日と刻まれているものが多くあります。

2013年5月17日撮影
   
 2013年5月17日撮影