原爆ドームから約160メートル離れた島病院上空が爆心地であると言われています。
今もほぼ元の所に島外科病院があり、「島病院爆心地の碑」には、原爆がおちた時の様子が下のとおり説明されています。
「爆心地
テニアン島から飛来した米軍機B−29「エノラ・ゲイ号」によって人類史上最初に使用された原子爆弾は この上空約580メートル(※注)でさく裂しました
爆心直下となったこの一帯は 約3,000度〜4,000度の熱線と爆風や放射能を受け ほとんどの人々が瞬時にその生命を奪われました
時に1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分のことでした。
(現地点から見た北方の惨状 1945年11月 米軍撮影)」
とありHypocenter との英文の説明と写真が埋めこめられています。(580メートル(※注) は 600メートルと訂正され発表されています。
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