6.爆心地島病院 (中区大手町一丁目5−24)
   
 

原爆ドームから約160メートル離れた島病院上空が爆心地であると言われています。

 今もほぼ元の所に島外科病院があり、「島病院爆心地の碑」には、原爆がおちた時の様子が下のとおり説明されています。

「爆心地

テニアン島から飛来した米軍機B−29「エノラ・ゲイ号」によって人類史上最初に使用された原子爆弾は この上空約580メートル(※注)でさく裂しました

爆心直下となったこの一帯は 約3,000度〜4,000度の熱線と爆風や放射能を受け ほとんどの人々が瞬時にその生命を奪われました

時に1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分のことでした。

(現地点から見た北方の惨状 1945年11月 米軍撮影)」

とありHypocenter との英文の説明と写真が埋めこめられています。(580メートル(※注 は 600メートルと訂正され発表されています。

   
 上の写真はは2013年5月17日、右は1995年12月撮影。