太平洋戦争中、増産協力、建物疎開作業などの勤労奉仕に動員された学徒のうち原爆犠牲になった6千余人の霊を慰めようと願ってたられた碑です。
1944年8月、学徒動員令が出て、全国の中学以上の子供に対して、軍需産業への奉仕が強制されました。さらに空襲による延焼防止のため建物をこわす作業に約8000人の学生が出動していて、そのうち6000余人が無惨な死をとげたのです。後方にあるパネルにはその学徒達の働いている姿が描かれていますが、農作業のパネルの中に、菊水の旗(楠正成の旗)が置かれているのは何を意味するのでしょうか。
円鍔勝三(えんつばかつぞう)氏作
写真は2013年5月13日撮影。
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