15.元安橋 
   
 

 長い間、爆心直下の地でその姿をとどめていた元安橋も1992年ついに建て替えられ、元の欄干が幾つか使用されている他、二つの欄干が説明板とともに残されるのみとなってしまいました。広島から被爆の生々しさがどんどん失われていきます。被爆建築物、橋を生々しい形で残すのは、建物の寿命もあり、経済的にも大変だといいますが、肝心のこの元安橋を取り壊したのは、当時の市の姿勢が問われると言っていいでしょう。取り返しのつかないことをしてしまったと言っていいでしょう。原爆ドーム以外は、全て郷土資料館やこの橋のようになって行くのでしょうか。(長崎では、原爆ドームが世界遺産になったのを受け、浦上天主堂を取り壊してしまったのを悔やんでいる、と聞きます)

戦後始めての復興の会議で、広島の町全体を廃墟として残すことを主張する意見もありました。いくら金がかかっても、もうこれ以上被爆の証人を取り壊さないで欲しい。原形のままで残して欲しい。それが多くのあの日を体験した人の声です。この橋の上でそのまま死んでいった人。炎の中で助けを呼ぶ声、この橋の下の川の中に入った人も多かったが、生き残った人はまずいません。

 オフチンニコフの詩。「橋を渡っていた人々は どこへ行ってしまったのか もう決して その人々の名前も知ることはできない 焼けてしまったのだ じょう発してしまったのだ 溶けてしまったのだ  振り返ることを忘れ、歩くことだけを強いられる、こんな生き方でいいのだろうか」(宅和純)、川は静かに流れる。

 写真は2012年6月17日撮影。