16.広島市レストハウス(燃料会館)  (中区中島町1・平和公園内)
   
 

この建物とその周囲の人達は、この建物の地下室にいて、ただ1人助かった人がいますが、すべて即死ないし数時間後の内に死亡しています。繁華街だった平和公園内の町の中で、唯一残ったあの日を伝える建物です。

 1929年に大正屋呉服店として建設されたこの建物は、戦争末期には売る物も無くなり被爆時には広島県燃料配給統制会社の本部(燃料会館)として使用されていました。地上3階、地下1階のコンクリート建ての頑丈なものだったため半壊にとどまり、3回の修復の後、現在レストハウス、平和公園の案内、広島の観光案内所として利用されています。その前は市の東部復興事務所でした。市がこのままでは危険、被爆時とは様相が変わっているというので地下室だけ残して取り壊す方針をたてたところ、「民間に被爆建造物の保存を要請する市が取り壊すとは」、と反対議論がおこっていますが、2000年、財政難の理由で取り壊し延期が発表されています。

写真は2013年5月17日撮影。
   
 右は2008年8月5日、地下室に入った写真です。