27.国立広島平和都市原爆死没者追悼平和祈念館  (中区中島町1・平和公園内東)
  

 2002年4月、当初、「被爆者援護法」の代替施設として提案され、「屋上屋を造ってどうするのか!」と被爆者団体からも反発も招いた問題の「国立平和祈念館」の工事がようやく完成、そして2002年8月1日開館され一般への公開が始まりました。    

なお長崎は2003年7月6日開館されました。

 2002年4月15日、周囲の工事用フェンスが撤去され、外観が姿を現し、8月1日に公開されました。
 祈念館は原爆慰霊碑の東側。地上部分には、原爆投下時刻の八時十五分をイメージする時計風のモニュメントがあり、その周囲に、建設工事の際に地中から出てきた瓦礫(がれき)を配しています。
 モニュメント下の地下二階に、中央の円弧部分の地下に、原爆死没者を追悼し、平和について思索する追悼空間が設けられました。高さ八メートル、直径十八メートルの円筒状の吹き抜けで、壁面は原爆投下直後の写真を陶板の凹凸による陰影で表現し、360度のパノラマにしてあります。また、原爆死没者は5008人(遺影4081枚分、927人分は名前だけー2002年8月7日現在)が登録されています。入口には「誤った国策により犠牲となった」との文言が記してあります。

写真は2013年5月17日撮影

 
   
 

また、565人の被爆体験記と、被爆体験がつづられた図書3011冊が集まっていると報じられ、これらはデータベース化していくことになっています。
 地上一階地下二階、延べ約三千平方メートル。建設費は約四十七億円をようしたといいます。本当に「平和」につながる施設になることが出来るか、「休む場所が無い」ということから「語り部」の人から要望もされている施設としても果たして期待に沿うことができるか、注目されます。

2002年11月28日の朝日新聞(長崎版ホームページ)では、入館者が1日平均約1300人、計14万2千人にのぼり、原爆死没者の氏名と遺影は6703人分、被爆体験記は8万件以上が集まっていると報じられていました。なお場所が判りにくいためか入館者が伸び悩んでいるため、2003年12月18日新たに2箇所、地上表示板が設置されました。

写真は2013年5月17日撮影
 
   
 2007年4月10日  
   
 2003年12月26日  
   
   
   
                  
   
   
 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館内部  
 (1)平和祈念・死没者追悼空間のすぐ前にこの碑文があります。
   「ここに、原子爆弾によって亡くなった方々を心から追悼するとともに、誤った国策により犠牲となった多くの人々に思いを致しながら、その惨禍を二度と繰り返すことがないよう、後代に語り継ぎ、広く内外に伝え、一日も早く核兵器のない世界を築くことを誓います。」

2003年12月26日
 (2)平和祈念・死没者追悼空間  
 2005年12月24日
 (3)平和祈念・死没者追悼空間  
  2005年12月24日
 (4)体験記閲覧室  
 2003年12月26日
 (5)体験記閲覧室  
 2003年12月26日