昭和6年5月1日撮影の「被爆以前の天満神社」の写真とともに説明板がたっています。
天満神社(旧天神町)
御祭神 菅原道真大神
御由緒
天満神社は毛利輝元卿が広島に城を築き高田郡吉田町から入府した時、吉田の天神山からこの地に遷して奉斎したのが始まりである。当初この地は、「舟町」と称していたがこれにより「天神町」と改めた。
その後、広島城主も福島正則を経て浅野家と変わるが、浅野長晟卿が広島城に入城の際船を水主町(現加古町)に着け、天満神社に入り暫く休憩の後入城した。
この因縁から浅野家の当神社に対する崇敬は大変厚いものがあり、正月五月、九月には当神社に参拝され様々な郷地・宝物の奉納がなされた。元和七年(西洋暦一六二一年)連歌百韻を奉納している。また、寛永八年(西洋暦一六三一年)社殿を造営したが、享保十三年火災に罹り寛延三年(西洋暦一八一二年)再建した。
明治に入り浅野家との関係は絶たれたが、広島の発展とともに広島市の中心に位置する「天満神社」の社頭の繁栄は目を見張るものがあった。繁華街の真ん中で「天神町の天神さん」と呼んで親しまれていた。
祭礼は、とても賑やかで「学問の神様」、「書道の神様」として大変に持てはやされていた。
空鞘稲生神社の氏子区域内にある崇敬神社で、空鞘稲生神社(広島氏中区本川町― 旧空鞘町鎮座)の境外摂社※である。
昭和二十年八月六日に爆心地より三〇〇メートルという至近距離で被爆した当神社は、注連柱、狛犬等の石造物が若干残った中で幸いにも疎開していた御神体(木造)を残し全てが灰燼に帰した。
様々な事情で復興が叶わぬまま時を過ごしてきたが、去る平成六年六月ようやく小祠を建立し、由緒ある「天神町の天神さん」の復興の一歩を踏み出したところである。
平成十三年九月 宮司記
天満神社の連絡先 空鞘稲生神社社務所
082−231−4476
※境外神社とは
本社の同一境内地内または飛び地境内にあって本社の支配を受ける小社で、ご祭神・由緒関係等において本社に縁深い社を言う。
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