32.広島大学原爆死没追悼之碑等(中区東千田町一丁目1・広大東千田キャンパス)  
   
  原爆によるすさまじい破壊の跡を象徴するユニークな造形が、元広島大学会館裏、現広大東千田キャンパス庭にあります。戦前の関係諸学校を集大成して、広島大学は戦後生まれました。総計724人の犠牲者の霊に誓うことばが刻まれています。「人類平和の確立に、敢然寄与すべき深い学問的責務を負う所以を永久に銘記する」 1974年建立以来幾人の者がこの言葉を胸に巣立ったでしょうか?今は寂しくなったこのあたりにかってのエレキバンドの響きと若人のさんざめきを思い出ます。(入って裏に碑文があり、そちらが表、今は広島大学法学部・経済学部二部、広島放送大学等の施設が入っています。)

写真は2002年5月22日撮影。
   
   左の写真は2012年5月27日撮影。
   
   

また、この碑の右手に広島女子高等師範学校記念碑が立っていますので写真と共に説明文を記しておきます。

「時」のかたみに
 広島女子高等師範学校は一九四五年三月文部省直轄学校として創設された我が国三番目の女高師で千田町二丁目在団法事山中高等女学校理事長山中トシの英断により国家に寄附された校地校舎諸設備を母体に同校を附属山中高女として開校した経緯を持つ。当時は太平洋戦争末期で連日の空襲下を全国から八一名の生徒が入学、間もなく原爆により校舎は瓦解焼失し七名の試射と全員被爆の傷痕を負って敗戦を迎える。戦後は安浦町・福山氏などを移転ののち一九五二年四期生の卒業を最後に戦後の教育界に二五五名の同窓生を送り出し新制広島大学に包括された。
1995年創立五十周年を記念して建立
広島女子高等師範学校 卒業生一同


写真は2002年5月22日撮影。