1.鶴見橋とシダレヤナギ南区比治山本町20)
   
   鶴見橋を左折するおりに、カラーの新聞記事等で説明しながら、皆さんに車中から覗いて貰っており、多くの感銘を頂いている、「鶴見橋の被爆ヤナギ」。残念ながら交差点にあるので、降りて見て頂くわけにはいきませんが、地元対象の少人数フィールドワークでは、そばまで行けます。
平和大通り東端にかかる鶴見橋までが全焼地域、この京橋川の西は建物疎開の作業をする動員学徒、国民義勇隊の人達でいっぱいでした。その人達が原爆の直撃を受け半裸になってこの柳の下を逃げて行きました。被爆者は鶴見橋を渡り、このシダレヤナギの下を通って、次の臨時に県庁の置かれた多聞院へと逃げて行ったそうです。爆心から1.7キロ、人は丸裸になっていたといいます。原爆で幹の上部が折れてしまい、さらに1984年の台風で、受けた傷がもとで腰を曲げ、1991年、市役所が
鉄棒で支える工事をしました。それでも立派に葉を繁らせているのには皆さん感動してきました。
 そばに説明版がついています。
『鶴見橋(爆心地から約1.7キロメートル)
被爆当時、この橋の西側では動員学徒や義勇隊の人びとが、焼夷弾(しょういだん)などによる延焼を防ぐため、建物疎開作業に従事していました。人類史上最初の原爆投下により、この作業に動員されていた多くの人びとが犠牲になりました。原爆の強力な熱線により欄干(らんかん)などに着火しましたが、すぐ消し止められ、多くの被災者がこの橋を渡って比治山などに避難しました。シダレヤナギもかろうじて被爆に耐え、今まで生き続けています。(東詰めから撮影された鶴見橋とシダレヤナギ 1945(昭和20)年9月 松本栄一氏撮影=の写真あり)』 
   
   

しかし2007年秋、この被爆ヤナギは百歳という寿命を超え、雨不足もあり、ついに本体は枯れ死したようです。(2007年7月7日の写真を下に)。

 しかし同じ樹の根元から新しい幹が成長しており、立派に葉を繁らせています。
(上の写真は2002年7月6日、まだ生きている頃、左の写真は2008年7月5日、本体幹の枯れたヤナギ)

   
   

朽ちかけた時の鶴見橋のシダレヤナギ

2007年7月7日、鶴見橋の被爆ヤナギが朽ちかけているという報を聞いて現地に行ってみました。ごらんのとおり、幹も枯れそうですし、葉の色も悪いかったです。1日も長く生きぬいて欲しいと願っていましたがダメでした。

 

   
  2014年5月7日撮影
   
   2014年5月7日撮影