34−2.六管桟橋跡モニュメントと碑文南区宇品海岸三丁目12・宇品波止場公園)

   

明治22年に築港された宇品港は、日清・日露戦争を契機に,昭和20年まで主に旧陸軍の軍用港として利用されてきました。その中心的役割を果たしたのが、明治35年に軍用桟橋として建設されたこの六管桟橋です。この桟橋は、戦争中は多くの兵士を送り出した一方、多数の遺骨の無言の帰国を迎え,広島の歴史を見守ってきた貴重な証言者です。また築港当時の唯一の施設であり、歴史的、建築的にも高い価値があります。戦後は、海上保安庁の船舶の係留に利用されてきましたが、1万トンバースの増設に伴い、護岸としてのその姿を残しています。宇品港の名称が改められて広島港と呼ばれるようになってからも、ずっとその歴史を刻んできたこの桟橋は広島の歴史そのものです。桟橋の石積みを当時の護岸として保存し一部を展示しています。  

広島県広島港湾振興局

二つ写真がはめ込まれています。六管桟橋から六管庁舎を望む(昭和23年ごろ)と、六管庁舎桟橋及び競輪場付近(昭和32年ごろ)六管本部撮影  

   
 右は2000年8月撮影  
 

 

右はここから60年近く前、戦地に送られた元兵士を囲んで記念写真。ここから、向こうは戦争中のままだとの感慨込めた証言を再び頂きました。

 
 右は2014年5月7日撮影