34−3.宇品線モニュメント南区宇品海岸三丁目12・宇品波止場公園)

   

宇品線(説明文)

宇品線は,宇品港が軍用港としてクローズアップされた日清戦争当時の明治27年に,山陽本線の完成に併せて敷設された旧陸軍の軍事輸送専用線で、明治39年3月制定の鉄道国有法により国鉄に移管されたものです。広島―宇品館9キロメートルを着工からわずか16日間で完成、さらに、拠点の広島駅には軍用列車の引込線が整備され、終点宇品駅には陸軍運輸部宇品支部が設けられました。

太平洋戦争が始ると、兵士や兵器を積み込んだ軍用列車が夜昼なく30分おきに入る程,慌しい毎日でした。宇品駅の軍用ホームが560メートルと当時としては日本一の長さを誇っていたことからも、宇品線の果たした役割の大きさをうかがうことができます、

広島に原爆が投下された昭和20年8月6日には、宇品―南段原間を3往復し、約3,000人の負傷者を宇品凱旋館に収容しました。

写真は2005年8月6日のフィールドワークにて
   
 

軍用線の役割を終えた戦後は、貿易港として生まれ変わった広島港の動脈として、地位住民の足として利用され、広島市の復興を支えてきました、しかし、道路網の整備が進むにつれて、貨物・旅客数は減少し始め、ついに昭和47年に旅客列車は廃止され、1日1往復のみの貨物専用線となったのです。

そして,昭和61年9月30日、宇品線は、92年の歴史に終止符を打ち、記念としてここに形を残すことになりました。

広島県広島港湾振興局


写真は2002年8月6日のフィールドワークにて

 
 右の写真は2014年5月7日撮影