51.尾山家住宅  (南区本浦町20−18)

   

10月13日に、本浦町の山裾で、被爆建物を訪ねて歩いていて道を間違えてさ迷っていた時、偶然えらく古びた建物があるのに気付いた。そばにこの家の持ち主らしき女性がおられたので尋ねたところ、被爆前からの建物と言われる。このあたり爆心地からは約4キロぐらい。戦前からのものだったら被爆建物ということになる。

 木造の民家の場合、もう戦後67年、建物の寿命は尽きて、20年ぐらい前は被爆建物はかなりあったようだが、10年ぐらい前にはほとんど取り壊されているように感じていたが、未だ残っている稀有な例かも知れない。木造民家の場合「被爆建物」として登録されているものは無いよう。多分プライバシーの問題だと思われるが。

 なんでも幕末からの思い出のある建物ということだった。写真撮らせて貰えるかと聞いたら、いいですよ、ということで家の中も撮らせて頂いた。

 回りに何かの工事のためにおられた男性数人も女性の話を聞いて驚いておられた。ここの場合、尾山さんというお年寄りが住まれていたが、平成元年に88歳で亡くなられた後は、どなたも住まれておらず倉庫のように使われてきたが、15年ぐらい前から電気も来ていない状態になったという。

   
 

 今は写真のとおり、既に人は住んでおられないので公開しても良いのでは?女性の話では、この建物の権利は、熊野眞さんという方で、本通りのキショウ堂の社長ということである。連絡先は082−248−0901、本通りのキショウ堂の電話番号。15日にかけて見たところ現地でお会いした方が出られた。

なお住んでおられたお婆さんのご主人は広電の運転手だったそうで、原爆で亡くなられたそうである。