P 木口小平を偲ぶ記念板
1984年7月に30日かけて、朝鮮の成歓、牙山を占領した戦いの時です。(宣戦布告前) 碑文は長いので空辰夫氏(「加害基地宇品」)の要約を記しておきます。絵も同書から。 「明治五年八月八日・岡山県川上郡成羽町新山の生れ。家計の苦しさを知り中等科を退学・就職し家計を助けながら夜間独学をすすめた。明治二十五年第二十一連隊(広島)に入営、進んでラッパ手を志願。小平のラッパは″腹の底にこたえる″とまでほめられた。明治二十七年六月二十八日仁川に上陸。二十九日成歓の安城川の夜戦。中隊長松崎大尉白から剣をかかげ深き下流を渡る。中隊長戦死。前後の中隊は突撃中、木口氏は白からの判断で突撃ラッパを吹く。そのとき胸に一弾を受け地上に倒れるが銃をつえに起きあがり再びラッパを息たえるまで吹いた。死に臨みながらも白からの職責を遂行した兵士」 ※ラッパを吹いて倒れたのは、白神源次郎、木口小平はそのラッパを取り上げて吹いたに過ぎないという説もあります。また、物理的に死んでラッパを離さずにおられるはずが無い、という方もおられます。両者とも戦死しているので、真相は判りません。 |
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右の写真は2001年3月18日、札幌の方。 | |
※ラッパを吹いて倒れたのは、白神源次郎、木口小平はそのラッパを取り上げて吹いたに過ぎないという説もあります。また、物理的に死んでラッパを離さずにおられるはずが無い、という方もおられます。両者とも戦死しているので、真相は判りません。 左の伊写真は1999年8月2日。 |
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