6.陸軍墓地からの展望

    比治山には展望台がありますが、高層ビルの乱立でビルばかりしか見えません。それよりここからの展望を薦めます。すぐ下に今話題の市内一の被爆建物、被服支厰跡が見えます。海岸には元の軍港宇品港市営桟橋が、一番近い島は、陸続きの元宇品、陸軍暁部隊の地下要塞があった所です。海を見れば左から赤いヤグラの立っているのが機密の島、金輪島、そして峠島、その右が検疫所・捕虜収容所・弾薬庫跡があり、多くの被爆者が収容され死んでいった、安芸の小富士とよばれる似島、さらに右は宮島です。見通しの良い日には海軍兵学校(今も海上自衛隊の幹部候補生学校等)で有名な江田島、特攻基地のあった倉橋島も見えます。全て軍事要塞のあった島です。風光明媚な瀬戸の島々、その殆どに、朝鮮人強制労働による地下壕、そして山頂には砲台の跡が(宮島にも)残っており、その多くが現在も呉港を中心に米軍弾薬庫や海上自衛隊の施設に転用されています。

左の写真は1992年12月13日撮影
   
 なお陸軍兵器支廠跡(消えた広大医学部1号館と11号館)は残念ながら山の反対側なので見ることは出来ませんし、現在では面影無く挿入ページに入れていますのでご覧ください。

以下の写真は2012年10月13日撮影。 
 
   
   よく大久野島(毒ガスの島)は見えないかと、聞かれますが、遠い上に小さい島などで、残念ながら見えません。「ヒロシマの今から過去を見て回る会」も何度かフィールドワークしていますが、「毒ガス島歴史研究所」のホームページにすばらしい「大久野島戦争遺跡案内板」も出来ていますので、興味のある方はそちらを開いて下さい。