8.修練院          (安佐南区長束西二丁目1−36)

  爆心から4.5キロメートルの被爆建物。礼拝所南側の柱が3本折れ、天井は湾曲してしまったという。被爆者の多くが逃げ込み、その救護にアルペ神父等が当たったことで知られている。

写真は2012年10月5日撮影
   
 写真はいずれも2012年10月5日撮影
   

アルペ神父胸像

「ペドロ・アルペ神父

希望をもたらす人

アルペ神父は、一九〇七年、スペインのバスク地方に生まれる。一九二七年、イエスズ会入会、−三六年、司祭叙階後、1936年、来日。-40年、山口教会主任司祭を経て、1942年から12年間、この地、長束修練院の院長及び修練長として、修練者の養成を始め、宣教活動に努める。

在任中の原爆投下時には、多数の被災者を修練院に収容し、医学専攻の力量を発揮し、その献身的な治療によって多くの人命を救助する。1954年、日本準管区長となり、東京に赴任、-58年から7年間、日本管区長として務める。

965年、5月、イエスズ会総長に選出され、第二バチカン公会議の教会の時に全力を傾注し、この歴史的改革に寄与する。また、世界各地を巡り、多くの難民の救済に尽くす。1983年に総長を辞し、長く重い病床生活を主に捧げて、1991年、帰天、奇しくも、この日は、日本26聖人長崎殉教者の祝日である。思えば、この修練院の玄関先に立たれ、柔和な姿で、来訪者をお迎えくださったものだが、その生涯の大半を日本人のために尽くされた。この偉大な神父の徳を偲び、末永く歴史に伝えるため、ここに、記念碑を建立する。

2003年2月1日」