12−2.栗原家「護憲の碑」(安佐北区可部町勝木・可部グリーンライフ6区墓地)

 可部町勝木のグリー―ライフという住宅団地内の墓地の一角に、「生ましめんかな」の作者、故栗原貞子さんの長女真理子さんが1991年4月21日に建てられた「護憲の碑」というのがあるので紹介しておきます。


写真はいづれも2013年10月29日撮影。

 
 
   
 日本国憲法

第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇を又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを永久に認めない。

父 栗原唯一
母    貞子に捧ぐ

一九九一年二月 長女 真理子建之

 
 
 栗原唯一氏は1906年(明治39年)に生まれ、1931年(昭和6年)に貞子さんと結婚した。第2次大戦中は安佐郡祇園町(現広島市安佐南区祗園)の機械工場に徴用され、一家全員が被爆した。戦後は祗園町会議員を経て、1955年(昭和30年)から3期県議会議員を務めた(当初は無所属、2期目から社会党)。
 「戦争をする政治ほど悪い政治は無い」というのが口ぐせで、県議会議員を引退した後も護憲、反戦、人権擁護を叫び続けていたが、1981年にガンの為73歳の生涯を終えた。
 故人をしのび、その遺志の継承の証として建立された護憲の碑は黒御影石製で、前面には「護憲」の2文字が大きく彫られ、後面には憲法9条の碑文が白字で刻み込まれている。