10.本川小学校資料館(本川国民学校)(中区本川町一丁目5)

   

 平和公園の西側に位置する本川小学校内にある平和資料館は、爆心地から最も近距離で残存した建物のひとつです。(爆心地から西へ350メートル)

 1928年に建設されたこの建物は、当時は市内初の鉄筋コンクリート造の校舎(3階建)として、児童の自慢するところでした。当時は本川国民学校といいました。

 あの日、約200名の児童と数名の教職員が登校していました。その他に200名の児童が分散所での授業を受けていたり、建物疎開に動員(高等科の生徒)されていました。あの瞬間、校庭にいたものは即死。校舎内にいた者も即死か大けがをしました。すぐそばを流れる本川に飛び込んだものも多くいましたが、児童、教職員のほとんどが死亡しました。

左の写真は1993年8月5日撮影
   左の写真は1993年8月5日撮影
   
 

被爆により、校舎は骨格のみを残しました。しかし、被爆後は残存した数少ない校舎であったため、修理もままならないうちに、再び使用されだし、部分改修が重ねられた後、1987年に現平和資料館を除いて全て取り壊されました。資料館内は写真や遺物などを中心に、一階部分のみで展示してあります。また、地下の元脱衣室には、むきだしの鉄筋や、火災の跡などの被爆の痕跡が生々しく残っていますが、地下室への階段が著しく傷んでいることから、通常は立ち入り禁止となっています。小学校という場所柄もあって、見学者は学校団体が多くを占めますが、8月6日前後は開いていますし、学校へ申し込めば見学できます。つつましくも身に沁みる展示です。子どもさんの見学の適所ですが、大人も充分感動出来ます。中沢啓治氏の「はだしのゲン」に出てくる小学校は本川小学校です。ただし中沢氏の被爆した所は神崎小学校校門付近ということです。中沢氏は2002年11月1日、「第14回谷本清平和賞」を受賞されました。

なお2007年7月10日中国新聞で爆心直下の被爆石がこの小学校の東門わきに移設されたと報道されました。

右の写真は2012年2月18日撮影
 
   

下に東門の向かって左側に、この被爆庭石(原爆ドームの隣の民家にあったもの)があるのを確認、撮影しましたので、追加しておきます。

(20012年2月18日撮影)

 (説明板)

被爆手水鉢


産業奨励館(原爆ドーム)のすぐそばで被爆した手水鉢です。

手水鉢…手や顔を洗うためくぼみをほどこした石。当時、水に花を浮かべて鑑賞していたそうです。