19.西本願寺別院 (中区寺町1−19)
| (1)納骨堂票石 | |
![]() |
爆心から千百メートル。原爆は本堂及び他の建物を全焼させ、中の樹木にも火をつけました。消火どころではなく、各自無我夢中で近くの本川に逃げるだけでした。槇藤輪番(本願寺派安芸教区代表)等5人が即死、10人が負傷しました。爆風と本堂や庭の燃え盛る炎上の熱で割れた納骨堂票石は、正面から見ると右側が大きく欠けていて、あの日の惨状のすさまじさを感じさせます。原爆死没者の8〜9割は安芸門徒と言われています。その中心の寺として平和を願う念仏の集いなど、数多くの平和運動を行っています。広島の寺の多くが無縁の墓を大事にしているのもその現れでしょう。 写真は2012年12月19日撮影。 |
| (2) 蘇鉄 | |
![]() |
庭まで焼けた中で、奇蹟的に枯れずに残ったのが西側の蘇鉄樹(左の写真)と反対側の親鸞聖人像の脇の蘇鉄です。蘇鉄という樹の生命力のたくましさでしょうか。
写真は2012年12月19日撮影。 |
| (3)中国配電職員弔魂塔 | |
![]() |
西本願寺別院に入って右側にあります。1948年建立。 この時期、占領下で建てられた慰霊碑には、原爆の字が入っていないのが特徴です。本店(小町32)の163人、電気事業局の88人のほかに、各支店で被爆した人、当日運悪く所用で市内に入っていた人を含めて、276人が合祀されています。 写真は2012年12月19日撮影。 |
| (4)表忠塔 | |
![]() |
西本願寺別院に入って中国配電職員弔魂塔の反対側にあります。何故か、別院の人に尋ねた時には、被爆樹ソテツなどは詳しく教えて頂いたが、この「表忠塔」には、触れられませんでした。2度目に訪れた時、その存在に気がつきました。刻まれた文字を読んでみると、日露戦争で出征して負傷、広島の陸軍予備病院で病没した竹中某陸軍少将外279名を、合骨納安しその殉国の誠忠を追慕するもの、というものです。日付けは大正七年四月となっています。 ※建立年月日 大正7年4月 ※建立の由来 広島陸軍病院にて戦傷病にて死没者の遺骨を納安し永く殉国の誠忠義を追慕するために本塔建設す。 ※その他、特記事項 碑裏面に明治37〜38年戦役に出征し、戦地にて傷病を得て当地(広島陸軍病院)予備病院に没せられた 大正7年4月,広島別院 真宗司教 凌雲識 |
| (5)廣島縣警察官殉難之碑 | |
![]() |
西本願寺別院に入って中国配電職員弔魂塔の反対側にあります。何故か、別院の人に尋ねた時には、被爆樹ソテツなどは詳しく教えて頂いたが、この「表忠塔」には、触れられませんでした。2度目に訪れた時、その存在に気がつきました。刻まれた文字を読んでみると、日露戦争で出征して負傷、広島の陸軍予備病院で病没した竹中某陸軍少将外279名を、合骨納安しその殉国の誠忠を追慕するもの、というものです。日付けは大正七年四月となっています。 ※建立年月日 大正7年4月 ※建立の由来 広島陸軍病院にて戦傷病にて死没者の遺骨を納安し永く殉国の誠忠義を追慕するために本塔建設す。 ※その他、特記事項 碑裏面に明治37〜38年戦役に出征し、戦地にて傷病を得て当地(広島陸軍病院)予備病院に没せられた 大正7年4月,広島別院 真宗司教 凌雲識 |