22−1.広瀬神社 こま犬 灯籠 表忠塔 (中区広瀬町1)
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爆心地から800メートル。社司1人だけいたが、助かった。猛火に包まれ、社殿等は悉く焼失したといいます。1947年に現在の社殿は復興されました。 神社と寺は被爆遺跡の宝庫でもあります。ここでも木の建物が焼失しながら、石造りの物が、傷つきながら残っています。古い石灯籠や狛犬は、全て爆心地からの爆風、熱線、そして猛火の中で、黒く焼かれた跡、欠けた部分などを持っています。「皇紀二千六百年」記念行事が盛大に行われた1940年前後、神社を場所として国民精神総動員運動が行われました。その時奉納された狛犬は八つ、、一つ台座がギザギザ欠けており、もう一つは台座が傾いていまます。 写真は2012年4月26日撮影。 |
| そばの安政六年奉納の狛犬は、後ろ足がセメントで固めてあります。 写真は2012年4月26日撮影。 |
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広瀬神社には原爆でひどく痛んだ狛犬等は1992年の比較的早い調査で確認していましたが、当時は目が肥えておらず、忠魂碑の一種とも言える「表忠塔」や天皇制を称える「御大典記念」碑、「御銀婚式記念」碑等には気づきませんでした。2002年再確認に寄った際、ようやく気づいた次第。2012年4月26日再撮影。 「表忠塔」は1956(昭和31)年に太平洋戦争(大東亜戦争)の死没者を合忌するものとして再建されていますが、元は「明治四十四年」とありますから、多分「日露戦争」ないしそれ以前の戦争犠牲者を祀った性格のものでしょう。で「被爆遺跡」にもあたります。
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| 右は「修理記念碑 従一位 勲一等 侯爵浅野長勲閣下題字」 (横)大正七年五月 (裏)篤志芳名 氏子 高田壽吉外 184名の名前がある。 写真は2012年4月26日撮影。 |
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