27.広島商業高校(陸軍兵器学校広島分教場)と慰霊碑 (中区舟入南六丁目7)

(1)広島商業高校
  1934年に建てられたこの校舎は、建設当時は西日本随一の近代的校舎と言われていた。爆心地から2880m離れており、建物の被害はさほどではなかったようだが、現在では床や天井の傷みが著しく、県教育委員会を中心とした改修計画が注目されていたが、200年5月現在ご覧の通り無事を確認しました。1992年塗装がなされ、それまでと雰囲気が変わっていましたが、2006年4月8日、中国新聞に旧館はすでに解体され、新本館のモニュメントとして保存され、4月7日の新館の完成式に披露された、と報道されました。

左の写真は今は消えた建物。2002年5月22日撮影。
   
 右のモニュメント、下のテラコッタは2002年5月24日の撮影。比べてみてください。  
   
   

説明板には、建物の写真とともに下記のようにあります。(英文つき)

広島県立広島商業高等学校旧本館

この建物は、広島県立広島商業学校(現在の広島県立広島商業高等学校の前身)として昭和9年(1934)に竣工しました。昭和19年(1944)に陸軍兵器学校広島分教所として利用、昭和20年(1945)に原子爆弾による被爆、昭和24年(1949)に広島大学政経学部に転用の後、昭和35年(1960)から、再び広島県立広島商業高等学校の校舎として平成16年(2004)まで使用されました。
 保存されているのは、旧本館正面玄関の部分です。ギリシア建築を意識した円柱や壁面はテラコッタタイルで装備され、昭和初期の建築的特徴や技術力の高さを感じることができます。

   
 

また、正門から入って右には石の記念碑類が固まって保存されています。戦後のものに混じって「入學紀念樹 大正十二年度」

「昭和十四年度入學紀念樹」などの文字が読めます。被爆遺跡です。

写真は2012年4月27日撮影。

 
 (2)広島県立商業職員生徒慰霊碑  
 碑の詩 大木惇夫
戦ひのいけにゑとして 散りし花 わかき友らに今も生く この門に生く 仰ぎ見ん 
御霊安かれ 合掌礼拝

 広島県立商業高校は甲子園高校野球で有名で、正門から入るとすぐ優勝記念碑などが目につきます。原爆慰霊碑は入って右の川筋の方にちゃんと立っていますが、何か優勝記念碑などの影に隠れているような印象を受けます。裏に職員7人、1年生18人、2年生63人、3年生22人、4年生39人の名前が刻まれています。土橋や雑魚場町で建物疎開中で全滅となった生徒が中心です。1年生の犠牲者が少ないのは、出発が遅れたため運良く助かったものだといいます。1961年9月30日建立。詩の作者、大木惇夫は卒業生ですが、どうも戦争中、軍部に協力した軍事文学の推進者だった、と聞いています。そういう目で碑文を読めば、なるほど!と合点がいきます。


写真は2012年4月27日撮影。