30.シュモーハウス  (中区江波二本松一丁目2−34)

 

 集会所として使用されていた、被爆後の善意のアメリカ人の建てた「被爆者の家」(シュモー会館=江波二本松一丁目2−40)が残っていましたが、2012年11月1日、広島南道路の建設により山際の地に移転、平和祈念資料館の付属施設「シュモーハウス」として開館しました。

2012年11月3日に訪れて写真撮影しました。常駐の案内人がおられました。

   左は2014年3月30日、被爆証言者、瀬川博さんと訪問。
   
 

「シュモー会館の由来


江波二本松の「シュモー会館」の名は、この館を建てたアメリカの森林学者シュモー博士(Floyd W. Schmoh 1895~)に由来します。
 原爆によって家を失った広島の人々に一軒でも多くの家を建てようと、氏のよびかけによって募金活動が始まり、昭和24年、約4000ドルが集まりました。
 同年8月、シュモー博士は広島を訪れ、集まった募金を市に贈るとともに、地元学生らの協力のもと、自らも汗を流し、まず皆実町に4戸の家を完成させました。このヒューマニズムあふれる援助は、当時「国境を超えた愛の聖汗」と称賛されました。
 その後も毎年のように広島を訪れ、あわせて19戸もの家を建てています。しかし、今、残っているのはこの建物だけです。
この「シュモー会館」は、「戦争で一番深刻についたのは国家ではない、都市ではもない、ただ個人である。平和運動は言うことではない、行うことである」。彼のこの言葉の実践がシュモーハウスの建設だったのです。
 シュモー博士の回想録「日本の印象記」には、初めて広島を訪れたときの住宅建設の経緯がユーモアたっぷりに描かれており、当時の外国人が見た広島の様子がいきいいと映し出されていて、大変興味深い内容になっています。

 広島市の戦災復興は、市民のたゆみない努力の賜物であることはいいうまでもありませんが、海外からの暖かい善意と浄財の負うところもまた大きかったことを「シュモー会館」は私たちに語りかけています。
 なお、シュモー博士の功績を称え、広島市は昭和58年、特別名誉市民の称号を贈っています。」

 広島南道路の建設予定地にあるため、取り壊される可能性もありましたが、広島市(秋葉忠利市長時代)が関係者の保存要請に応えて、2002年10月22日に建物の基礎からの移転保存の方針を決定、この日の開館にこぎつけられたものです。 

 

 
   
 2012年11月3日、まだ南道路建設中のため入り口はこのように工事中の土地を通っていかねばならず、地元の人に尋ねなければどこにあるのか判らない状態でした。