38.江波皿山・射的場跡  (中区江波西一丁目・江波皿山公園)

   

  戦前の地図を見ると、「射的場」と細長く2本の筋が記されています。その跡を尋ねて歩いてみました。江波山気象館の方、及び江波西一丁目の町内会役員の方から証言を貰うことができたので紹介します。場所は今の江波下水処理場のすぐ南の山肌。、現在の民家との間の道路は無く、もっと山肌は広かったということです。この山肌に向って、現在の江波中学校から、盛んに砲弾が打ち込まれたといいます。そのことから、当時このあたりは、江波的場町とも言われていました。

1996年ごろまでは、そのままの地肌に草が生えていましたが、危険ということで防災工事が施されたといいいます。

写真は2012年5月23日撮影

   
 2004年以来久しぶりに訪れてみると右のような碑が建てられていました。

「お互 二度とくりかへさないようにいたしませう
 お互いに命を大切にいたしませう
 昭和三年二月三日建之
 発起人 広島市左官町安田佐一」

右に「千人供養塔」

とあります。


以前来ていた時は気が付きませんでしたので、どこか近くから持ってこられたものと思われます。近所の人は着弾地を示す碑だと言われましたが、さてどう見たらよいのか?昭和3年に建てられた趣旨は?建てられた時のままだったら、「広島市」は「廣島市」となっているはずですが?
 
 2014年3月30日に被爆証言者、瀬川博さんとここを訪ねました。  
   
 江波皿山のこの山肌をめがけて着弾訓練が毎日のように行われていたとは瀬川博さんの体験談。写真は2014年4月30日撮影。