29.三菱造船職員慰霊碑(三菱広島・元徴用工、在外被爆者問題) (西区観音新町四丁目8−2・三菱会館裏)
2010年4月、三菱重工(株)広島製作所敷地内に移設されました。以降、私たちのような部外者の写真撮影は不可能となったようです。以前は、広島空港へ行く少し手前、三菱重工轄L島製作所正門の少し前の右手に三菱会館がすぐ見え、その裏の庭に大きく立っていました。今、そこは駐車場になっています。 三菱重工業広島造船関係者43人を合祀しているといいます。1960年建立。 |
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右の写真は、朝鮮人の存在を語らない三菱会館の裏にある巨大な原爆慰霊碑の前で、幼少時被爆者から「朝鮮人だとわかると仕事の大半が断られる」と「差別」の現実を聞いているところです。 広島における朝鮮(韓国)人被爆者の存在と今もって続く根深い「差別」の現実については、韓国人原爆犠牲者慰霊碑 (平和公園).の中で触れています。 戦時中に三菱重工広島製作所に強制連行され、被爆した韓国人元徴用工の原告たちは、日本政府と三菱に対して、未払い賃金の返還や強制連行の損害賠償、韓国の被爆者への援護法の適用を求めて、裁判を闘ってきています。1999年3月25日の三菱広島・元徴用工被爆者へのへの戦後補償を求める広島地裁の、一切の補償を認めないという、犯罪的第一審の判決もヒロシマの根深い差別の土壌の中で下されたと言えるかもしれません。 |
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2002年12月に郭貴勲裁判において、大阪高裁で勝利判決が勝ち取られ、政府は控訴を断念、勝訴が確定ました。2001年12月にも李康寧裁判で、長崎地裁は同様の判決をしています。「被爆者健康手帳は海外に出ても失効しない」ことを政府が確認したのは大きな前進です。 しかし「被爆者はどこにいても被爆者」という当たり前の精神を政府が受け入れたわけではなく、来日しての手帳取得が前提、社会保障的にとらえるという「国の本質的な姿勢」は変わっていません。これからも同趣旨の訴訟を継続する必要がありますし、現実の在外被爆者救援にはまだまだ多くの難関が立ちふさがっています。政府はあくまで「国家保証責任」を拒否しており、「従軍慰安婦」や「強制連行問題」に波及させることには、まだまだ厳しい道があります。 |