60.海臧寺 本堂・山門・墓地      (西区田方一丁目1−3)


長い参道を登っていくと山門(被爆建物)にたどり着く。(右)

そのそばに、ここでは、広島市が付ける説明プレートではなく、海臧寺が独自に作ったと思われる石造りの大きな説明碑が設置されている。

「海臧寺(爆心地から約4.95キロメートル)

1945年(昭和20年)8月六日午前8時15分、人類史上最初の原子爆弾が投下され、広島市中心部の上空約580メートルでさく裂、街は一瞬のうちに焦土と化しました。

 1840年(天保11年)に再建された本堂も爆風により軒から上が持ち上がり、屋根裏の垂木や束などが破損したほか、柱が傾斜し軒桁が倒れかかるなど本堂が傾く被害を受けました。被爆後、本堂は避難してきた多くの負傷者で、足の踏み場もない状態でした。

 戦後、屋根裏の垂木を補強し、ずり落ちた瓦を葺き直すなどの応急修理がなされましたが、その後、半世紀を経て、屋根の痛みが激しく、危険な状態になりました。このため、2000年(平成12年)広島市被爆建物等保存・継承事業の助成を受けるとともに、地域の多くの方々のご支援により、広島市文化財審議委員会委員・三浦正幸氏(広島大学大学院文学研究科教授)の監修のもと保存工事を実施しました。翌2001年(平成13年)3月25日に竣工し、被爆の惨禍を後世に伝えています。」

「歴史の散歩道」「久遠山 海臧寺の略縁起」「草津まちなみ深訪マップ」もある。

写真は2012年10月16日撮影。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして被爆建物「本堂」がある。

 

 

 

 

 

 

裏には江戸時代様式の庭園がある。

 

 

 

 

 

 

 


                 

さらに目を引くのは旧浅野藩時代からの古い墓。東区の不動院を想起させる。

浅野と刻まれた墓があちこちに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下は北条氏直と書かれた墓