2.帰らぬ鶴碑 (西区三滝本町一丁目21・三滝墓園)

 

 無縁墓より手前、案内所があるすぐ前に左に入る行き止まりの道に入ると左右に、道より高く墓地がある。その左の墓地の手前付近、林田家と立盛家の墓の間にあり、いつも花が添えられているが、気をつけて見ないと判らない。
「子どもさんの墓ですね。よく新聞社やテレビの人が尋ねて来られます。」と言われたりするが、1959年、愛児を残して白血病のため亡くなった若い母親の墓である。残された母親の手記による碑文を紹介する。「帰らぬ鶴碑 あまりにも残酷な 取り返しのつかぬ現実に 苦しみながらも私は生きぬかなければならない 近く終わるであろう事を 察しながら 奈々子」 1965年建てられ、裏には時の広島出身の灘尾弘吉による文が刻まれている。
 「平和の碑 原爆の悲惨さを世界に向かって訴え続けるのは身をもって被爆を経験した広島・長崎を持つわが祖国だけであることは申すまでもない。奈々子さんの冥福を祈り
ささやかな一文をはなむけとする」


写真は2003年2月8日撮影