3.佐東町精霊供養塔  (西区三滝本町一丁目21・三滝墓園)

    佐東町は、平和公園内に義勇隊の慰霊碑があるが、それより先、この信仰の山、三滝山に1952年供養塔を建てている。無縁墓を過ぎて三滝寺へ向かう途中、左に車が入れる道があるが、その道に入ってすぐ右手に段々に墓が並んでいる。その墓地に入った所を良く目をこらして見ると小さなこの供養塔に気づく。
 戦後長らくピカ後家村といわれ建物疎開に市内に出動して多くの犠牲者を出した町である。筆者の知人がここの人で5歳で原爆を見ている。爆心から約7キロの地だが、幼心にハッキリと市内方面の閃光と原爆雲が沸き上がるのを見、家がガタガタと揺れ、窓ガラスが割れたのを覚えているという。彼の場合、この地区の多くの家と反対に母親を失っている。父親が病弱だったため、誰も出ない訳にはいかず、代わりに母親が建物疎開に行き、そのまま亡くなったという。母の顔は覚えていないという。


写真は2003年2月8日撮影